プトリッツ橋(Putlitzbrücke)警告碑

マーカーはプトリッツ橋(Putlitzbrücke)警告碑です。

プトリッツ橋(Putlitzbrücke)警告碑
[第2次世界大戦中に、ベルリンユダヤ人を強制収容所へと運ぶための列車が出た駅は、全部で3つあったという。一番有名なのがグルーネヴァルト駅だが、その次に多くのユダヤ人が送られたのが、ティアガルテンのプトリッツ橋(Putlitzbrücke)の下にある貨物駅だった。ちなみにもう1つは、戦前のベルリンの大ターミナル、アンハルター駅だったというから驚く。
ティアガルテン地区の北側に位置するモアビット(Moabit)は19世紀の後半以降、労働者街として発達し、戦前ベルリンで最大級のシナゴーグがあったことからユダヤ人も多く住んでいた(Levetzowstr.とJagowstr.の角にあったかつてのシナゴーグ跡には現在警告碑が建っているが、私はまだ足を運んだことがない)。
プトリッツ橋下の駅が悲しい歴史の表舞台に登場するのは、1941年の10月からである。この年、ナチスがモアビットのシナゴーグの敷地内に1000人を収容できる施設を作らせ、自宅から強制的に連れて来たユダヤ人をここにかき集めた。彼らは密集した室内で数日間収容させられた後、SSの監視の下でプトリッツ橋の駅に連れて行かれた。シナゴーグからこの駅まで、当初はトラックで運ばれたらしいが、1943年以降、彼らは重い荷物を持って歩いて移動しなければならなかった。
現在、橋の中ほどにこのような警告碑が建っている。かつてその下に貨物ホームがあった。ユダヤ人たちはここで家財道具を奪い取られた後、すでにホームに待機している貨物列車に乗せられ、強制収容所へと送られることになったのだ。現在はSバーンのWesthafen駅がその隣にある。  (「橋の下の貨物駅から – ベルリンのユダヤ人 – : ベルリン中央駅」より)]

カメラ位置はプトリッツ橋(Putlitzbrücke)で、カメラ東方向に警告碑があります。