ポツダム広場

マーカーはポツダム広場(有人式の信号機)です。

ポツダム広場
[ポツダム広場(Potsdamer Platz)は、ベルリンミッテ区にある主要な広場で、また交差点でもある。広場の名は近郊都市のポツダムにちなむ。19世紀初頭までは、ポツダムからベルリンを結ぶ街道がここでベルリン市を取り囲む都市城壁(Zollmauer)に設けられた関税門「ポツダム門」をくぐっており、門の外は各方面からの街道が集まる交差点になっていた。これが現在のポツダム広場に当たる。1838年、ベルリンとマクデブルクを結ぶ鉄道のポツダム駅が設けられると、ポツダム広場はベルリンの市内交通の中心地へと変貌していった。20世紀初頭にはベルリン市電の路線が集まるほか、周囲にはホテルやカフェが立ち並んだ。
1920年代、30年代にかけて、ポツダム広場はヨーロッパ経済の中心地の一つだった。全盛期は1920年代でアレクサンダー広場とともにベルリンのナイトライフの中心だった。ベルリンの多くの場所と同じように、第二次世界大戦の最後の年の激しい空襲と砲撃により建物の多くは破壊された。戦争終結後、占領軍(連合国)によってベルリンは分割され、ポツダム広場はアメリカ軍、イギリス軍、ソビエト軍の占領地域の境界になった。東西陣営の冷戦の緊張が高まるにつれて、ソビエト占領地域(東ベルリン)と西側占領地域(西ベルリン)の間の旅行が制限されるようになった。ポツダム広場は行くことができない境界になってしまい、もはや市民にとっての重要性は失われた。1961年8月31日に都市の中をつらぬく境界線に沿ってベルリンの壁が構築され、ポツダム広場は二つに分断された。かつてのにぎやかな交差点は荒地になってしまったのである。
1989年にベルリンの壁崩壊。1990年7月にはロジャー・ウォーターズは東・西ドイツ分断終結を記念する巨大なチャリティーコンサートを空っぽのポツダム広場で開いた。1990年以降、広場はベルリンの中心部からすぐという魅力的な場所のため、注目を集めた。ベルリン市はこの地域を4分割し、それぞれを開発するデベロッパーに売却した。再開発期間中はヨーロッパ最大の工事現場だった。
ポツダム広場・wikipedia-photo、ポツダム広場の夜景・wikipedia-photo、ドイツで初めての信号機とバーンタワー(ドイツ鉄道本社)・wikipedia-photo、「1900年代のポツダム広場。ホテル・ベルビュー(Hotel Belle Vue)とパラストホテル(Palast Hotel)が、北のブランデンブルク門に向けて伸びるケーニヒグレッツ通り(Königgrätzer Straße)の両脇に建つ」・wikipedia-photo、「1910年の写真。東へ伸びるライプツィヒ通り(Leipziger Strasse)の両側に建つドーリア式建築は、カルル・フリードリッヒ・シンケルがポツダム門の跡に作ったもの」・wikipedia-photo、「1924年の写真。この年、増えすぎた交通量をさばくため、ヨーロッパでも初となる有人式の信号機が建てられた」・wikipedia-photo、「1932年のポツダム広場。ホテル・ベルビューの跡地にはエーリヒ・メンデルゾーンの設計した近代的な商業ビル、コロンブスハウス(Columbushaus)が建つ」・wikipedia-photo、「1932年のポツダム広場の夜景。戦前の大型レジャーセンターであったハウス・ファーターラント(Haus Vaterland)が広場に面している」・wikipedia-photo、「1945年、ベルリン市街戦後の廃墟と化したポツダム広場」・wikipedia-photo、「1975年、東西ベルリンの境界となって廃墟が撤去されたポツダム広場跡地を西ベルリン側から見る。壁の手前は地下鉄ポツダム広場駅の入口跡。右奥はハウス・ファーターラントの廃墟で、この数年後に撤去された」・wikipedia-photo、「1982年のポツダム広場跡地。無人地帯が広がる」・wikipedia-photo  (wikipedia・ポツダム広場より)]

ポツダム広場 – Google Map 画像リンク」、「Historic Traffic Light – Google Map 画像リンク

カメラ西方向がポツダム広場です。

カメラ位置はポツダム広場で、カメラ北西方向にドイツで初めての有人式の信号機があります。

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