レッシング橋

マーカーはレッシング橋です。

レッシング橋(Lessingbrücke)
[レッシング橋は、ベルリンミッテ地区シュプレー川架かっています。ハンザヴィエテル地区(Berlin-Hansaviertel)にあるレッシングシュトラーセ(Lessingstraße)とモアビット地区(Berlin-Moabit)のストロムシュトラーセ(Stromstraße)をつないでいます。
最初の橋
橋は1877/1878年に、ハンザヴィエテル地区の開発に関連して小さな動物園の建設会社によってストリーム道路橋(Stromstraßenbrücke)という名前の固定上部構造を備えた木製のヨーク橋として建設されました。1897年に橋は詩人ゴットホルト・エフライム・レッシングの名前を受け取りました。
1901年から1903年の間に、市議会議員ルートヴィヒ・ホフマン(Ludwig Hoffmann)の計画に従って、木造建築は新しい石造りの建物に置き換えられ、新しい石造りの建造物がいくつかのアーチでシュプレー川に拡張されました。中央の開口部は、全幅が29.60メートル、アーチの幅が13メートル、橋の余裕高が4.30メートルなので、大型のシュプレー川船の通過を可能にしていました。橋幅は全幅19メートルで、両サイドに4メートルの幅の歩道が造られています。橋の側面には赤い砂岩が使われていました。
橋は第二次世界大戦でひどく損傷したましが、完全に破壊されたわけではありませんでした。1950年に、元の形式で一時的な再建が行われましたが、これにより、耐荷重能力がクラス30、つまり最大30トンに制限されました。橋は歴史的記念物(Denkmalschutz)として記載されました。
2番目の新しい橋
近くのWesthafenを通る道路での物資の輸送が大幅に増加し、かつてないほど大きなシュプレー川の移送量増大に対応するため新しい橋を計画する必要があました。最大240トンの積荷の2つの輸送船が橋の下で遭遇しました。ベルリン上院都市開発局は、オーナーとして1980年代初頭に設計競技を発表しました。この競争は、当初、川中に橋脚のない近代的な橋の建設を目的としていました。ただし、提出されたデザインは記念碑の保護当局によって承認されなかったため、古いフォームとスタイルの要素の大規模な複製が与えられました。これは、中央セクションの上向きのスチールアーチ構造と、サイドアーチ、橋の手すり、柱構造、階段の目に見える表面の創造的な複製によって、最終的に達成されました。レッシングの作品のシーンが描かれたブロンズのレリーフは、1983年に彫刻家のアウグスト・ヤケル(August Jäkel)が写真テンプレートに基づいて作成しました。構造を計画していたベルリンの会社Gregull + Spangが建設を行い、そのウェブサイトに次のように述べています。 『その後、橋の一方の端がポンツーンに置かれ、橋のもう一方の端にあるシュプレー川の上に押し込まれました。橋台のオートクレーンが橋を最終的な支持点まで下げました。』
橋の建設は2005年から2007年4月の間に実施され、費用は50万ユーロでした。
橋の南東からの眺め・wikipedia-photo、橋の東の景色・wikipedia-photo
アートのレッシング橋
彫刻家オットー・レッシング(Otto Lessing)が設計した4つのレッシングドラマ(サラ・サンプソン嬢(Miss Sara Sampson)、エミリア・ガロッティ(Emilia Galotti)、賢者ネイサン(Nathan der Weise)、バーンヘルムのミンナ(Minna von Barnhelm))のそれぞれの最終シーンを描いたブロンズレリーフが、最初のアーチ橋の4つの柱構造に取り付けられました。レリーフは第二次世界大戦で溶解してしまいました。 以下のギャラリーは1983年の鋳造品を示しています。
Miss Sara Sampson・wikipedia-photo、Emilia Galotti・wikipedia-photo、Nathan der Weise・wikipedia-photo、Minna von Barnhelm・wikipedia-photo]

Lessingbrücke – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向がレッシング橋です。

レッシング橋中央のカメラです。

レッシングドラマ彫刻が設置されている柱