虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

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虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑
[「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(ドイツ語: Denkmal für die ermordeten Juden Europas, 通称ホロコースト記念碑)は、2005年5月12日、ベルリンブランデンブルク門の南に開設された、ホロコーストで殺されたユダヤ人犠牲者のための記念碑。1万9073㎡の敷地にグリッド状に並ぶコンクリート製の石碑2,711基が一般公開された。厚み0.95m・横幅2.38mのブロックが、多様な高さ(0m~約4.5m)で連なる。設計したのはアメリカニューヨーク在住のピーター・アイゼンマン
地下にはホロコーストに関する情報センターがあり、イスラエルの記念館ヤド・ヴァシェムが提供したホロコースト犠牲者の氏名や資料などが展示されている。この場所は、プロイセン王国からドイツ帝国を経てナチス・ドイツに至るまでの時期には政府高官の官邸や官庁が立ち並んでおり、ベルリン市街戦で破壊された後は廃墟が残り、1960年代にはベルリンの壁建設によって廃墟が撤去され広大な無人地帯となっていた。
ホロコースト記念碑を巡る論争
建設計画は統一前の1988年に、歴史家のエバーハート・イェッケルとジャーナリストのレア・ロッシュの呼びかけによって開始された。 しかし、慰霊対象者をユダヤ人に限定するのか、それとも、戦争犠牲者、シンティとロマジプシーの自称)、同性愛者、強制労働者、障害者などの犠牲者全体を対象とするか、またなぜこのような巨大な記念碑を建設する必要があるのかで激しい論争が起きた。歴史家ジェルジュ・コンラッドは「ジェットコースターのように人々を不安と恐怖にさらすのは歳の市のようである。ドイツの荒々しい大きさにサイズを合わせたような記念碑は不要であり、むしろ殺されたユダヤの子どもに合う様なサイズにすべきだ」とその設計を批判し、さらに「建設資金は殺されたユダヤ人もまた喜んで遊んだり食事をしたり散策したりするような設備のために使われるべきだ」とした。
1999年、連邦議会は、記念碑建設と財団設立を決定し、対象をヨーロッパのユダヤ人に限定することが可決した。のち、2003年4月から建設が開始されるが、コンクリートの液化装置と石碑の落書き防止に関わっていたDegussa社が、ナチス時代に強制収容所で使用されたチクロンBの製造会社の姉妹会社であることが判明し、同年10月に工事は一時停止される。建設責任者のレア・ロッシュは非難されたが、結局、Degussa社への委託は続けられ、同年末に工事が再開され、第二次世界大戦終結および強制収容所解放60周年、ドイツとイスラエルの国交樹立40周年である2005年の完成に至った。
なおユダヤ人以外のシンティとロマ、同性愛者といった犠牲者のための記念碑は、連邦政府がすでに建設案を決議し、現在建設計画中である。
ホロコースト記念碑・wikipedia-photo、ホロコースト記念碑を来訪する人々・wikipedia-photo、ホロコースト記念碑の一部となる樹木・wikipedia-photo  (wikipedia・虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑より)]

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