アルターホフ(旧王宮)

マーカーはアルターホフ(旧王宮)です。

アルターホフ(旧王宮)
[アルターホーフはかつては“ルートヴィヒ城”と呼ばれ、1253-1474年までヴィッテルスバッハ家の最初の居城であり、ルートヴィヒ厳格公(1229-1294)の時代に造営された。ルートヴィヒ4世バイエルン公(1229-1347)が神聖ローマ帝国皇帝だったとき(1328-1347)、ここが帝国の中心となった。ヴィッテルスバッハ家のミュンヘンが大きくなって行くのに対し、この居城は小さく、非近代的で、また安全面の不安などから、ヴィッテルスバッハ家は新たなレジデンツを造るに至る。17世紀以降アルターホーフは単なる管理事務所となり、現在はミュンヘンの税務局となっている。19世紀初めにアルターホーフ付属の礼拝堂(ロレンツ礼拝堂)が取り壊された。中庭の後期ゴシック建築の張り出しは、通称“猿の塔”と呼ばれていて、これはペットとして飼われていた一匹の猿が、赤ん坊だった後の皇帝ルートヴィヒを盗み、張り出しの塔の上まで連れ去り、長い説得の後返したという伝説に由来する。またアルターホーフの近くにあるミュンツホーフは1563-1567年にかけて建てられたルネサンス建築の建物。造幣局。以前は侯爵家の厩舎であった。  (「アルターホーフ – イザール河畔のアテネから — やまねこの物語 —」より)]

[バイエルン王国(ドイツ語: Königreich Bayern)は、ヴィッテルスバッハ家の国王が治めたドイツの王国。首都はミュンヘン。現在のドイツ連邦共和国バイエルン州の前身である。バイエルンの地は1180年からヴィッテルスバッハ家が治めてきたが、1806年、マクシミリアン1世(1756-1825)(バイエルン選帝侯としてはマクシミリアン4世・1799-1805)の時代に神聖ローマ帝国が崩壊すると、近隣の領土を併合した上でナポレオン・ボナパルトによって王国に昇格され、ライン同盟の一員となった。その後1815年にはプファルツを回収、併合してドイツ連邦に参加した。ドイツ帝国が成立する際にも、王国は維持したまま帝国の1領邦となった。ドイツが第一次世界大戦に敗れると、混乱の中で勃発したドイツ革命により、1918年にルートヴィヒ3世が退位し、バイエルン王国は滅亡した。  (wikipedia・バイエルン王国より)
アルターホフ(旧王宮)・wikipedia-photo]

カメラ南南西方向の門を潜ると、アルターホフ(旧王宮)で、アルターホフ南口を通ってマリエン広場に出ます。また、カメラ東方向のアーチはオールドミント(旧造幣局)への渡り廊下です。

アルターホフ(旧王宮)中庭のカメラです。

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