アルブレヒツべルク城

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アルブレヒツべルク城
[アルブレヒツべルク城(Schloss Albrechtsberg)はプロイセン国王ヴィルヘルIV世ドイツ皇帝ヴィルヘルムI世の末弟であるアルプレヒト皇太子(1809-1872)とその二人目の妃ローザリーのために建てられた。
シンケルの弟子であるアドルフ・ローゼが設計した後期クラシック様式の建物で、1854年に完成した。
アルプレヒト皇太子の息子の死後はドレスデン市が購入、第2次大戦後は一時ソ連軍の管理部が置かれたり、インツーリストのホテルに使われたりした。
現在は芸術学校、ホテル・レストラン学校があるほか、コンサート、舞踏会、レセプション、講演会など各種催しに使われている。

ザクセン王国のまん中に建てられた宿敵プロイセンの皇太子の城
宿敵ともいえるプロイセンの皇太子がザクセンのまっただ中に宮殿を建てるに至ったのはなぜか。
アルプレヒト皇太子(Prinz Friedrich Heinrich Albrecht von Preussen)はプロイセン国王ヴィルヘルムIII世と王妃ルイーゼとの間に一番下の5男として生まれ、普墺戦争普仏戦争で活躍した。一番上の兄はヴィルヘルムIV世としてやはりプロイセン国王になり、その次の兄はドイツ帝国が成立するに際してヴィルヘルムI世として皇帝に就任している。
アルプレヒト皇太子は政治的な背景のもとで1930年にオランダ国王の王女マリアンネと結婚、3子をもうけた。しかし、この結婚はやがて破綻し、アルプレヒトはローザリー・フォン・ラウフ男爵夫人との結婚を希望する。
しかし、長兄の国王ヴィルヘルムIV世はプロイセン王国皇太子の結婚相手として男爵の身分は低すぎ、ホーエンツォレルン家の威信と利害に反するとして結婚に激しく反対する。
そして、結局ローザリーはプロイセンの支配力が及ぶ国に足を踏み入れることを許されないことになってしまう。そのため、皇太子の侍従シュトックハウゼンの夫人がザクセン王国の首都ドレスデンのこの場所に土地を求め、城を建てることになったということである。
その後、ローザリーは伯爵夫人の称号を与えられGraefin vou Hohenauを名乗ることになり、皇帝ヴィルヘルムI世の時代になると厳しい扱いが緩められて、皇帝自身がこのアルブレヒツベルク城を訪れた際も義妹として接したといわれる。  (「エルベ河畔の3つの城-ドレスデン情報ファイル」より)]

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アルブレヒツべルク城の鳥瞰カメラです。

アルブレヒツべルク城のゲート前のカメラです。

アルブレヒツべルク城前庭のカメラです。

アルブレヒツべルク城エルベ川側のカメラです。