カトリック旧宮廷教会

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カトリック旧宮廷教会(Dresden Cathedral)
[ポーランド・リトアニア共和国の国王選挙に出る資格を得るため、アウグスト2世(ザクセン選帝侯・在位:1694年 – 1733年)はカトリックに改宗した。ザクセンの選帝侯たちは伝統的に「宗教改革の擁護者」と呼ばれ、選帝国はドイツにおける福音主義教会の拠点であったため、アウグスト2世の改宗は世間を驚かすものであったが、何ら抗議を受ける事はなかった。しかしカトリック教徒となったザクセン選帝侯は、神聖ローマ帝国議会における新教徒派(プロテスタント)の指導者の地位をブランデンブルク=プロイセンに奪われることになり、ザクセン選帝侯はザクセンの宗教的一体性を保障して来たため、アウグストの改宗によって福音主義教会信徒臣民の一部が公国を離れることになった。アウグスト2世の王位獲得の野心のために、ザクセンの国庫から出された莫大な資金がポーランドの貴族や聖職者への賄賂に消え、同時代人はアウグスト2世の王座への執念を「ポーランドへの投機」と呼んで嘲った。
ザクセンはその後もルター派領邦であり続け、少数のカトリック教徒住民には何の参政権、市民権も与えられなかった。
1717年になると、状況をさらに錯綜させるような問題が浮上した。ポーランドとドイツの2国におけるアウグスト2世の王朝的野心を満たすためには、彼の後継者はカトリックである必要があるというのである。5年後、アウグスト2世の嗣子フリードリヒ・アウグスト(アウグスト3世、ザクセン選帝侯・在位:1733年 – 1763年)がカトリックに改宗したことが公に発表された。ザクセンの人々は憤慨し、反発が起きた。カトリックへの改宗が便宜的なものではなく、内実を伴ったものだということが明らかになったためである。  (wikipedia・アウグスト2世_(ポーランド王)より)]

[カトリック旧宮廷教会は、ドレスデンの最重要ランドマークの1つです。
カトリック旧宮廷教会建設当時ドレスデンの一般市民はプロテスタントでした、プロテスタントのドレスデン市は1726年から1743年まで聖母教会(フラウエン教会)を建設していました。それにもかかわらず、アウグスト3世は建築家Gaetano Chiaveriに命じ、1738年から1751年にかけて、自身の使用や他の高官使用のためにカトリック旧宮廷教会を建て、高架歩道でドレスデン城に接続しました。
教会は1945年2月第二次世界大戦ドレスデンの爆撃により破壊されました。教会は、東ドイツ政府によって1980年代半ばに部分復元され、ドイツ再統一後の21世紀初めには城への歩廊橋の再建を含めて追加復元されました。
現在はドレスデン・マイセンのローマカトリック主教区の大聖堂です。
昼間は無料で入場できます。
大聖堂にはドレスデンの爆撃により破壊された部分を取り除き再建されたオルガンがあり、これはオルガン製作者ゴットフリート・ジルバーマンの最後の作品です。また、Balthasar Permoserによるロココ様式の説教壇も含まれています。
1840年頃の教会・wikipedia-photo、カトリック旧宮廷教会(教会左ドレスデン城、右ゼンパー・オーパー)・wikipedia-photo、身廊からの主祭壇・wikipedia-photo、「ゴットフリート・ジルバーマン制作のオルガン」・wikipedia-photo、祭壇画・wikipedia-photoヴェッティン家の埋葬地・wikipedia-photo]

カトリック旧宮廷教会 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向がカトリック旧宮廷教会です。

カメラ北西方向がカトリック旧宮廷教会で、右方向に高架歩廊があります。

カトリック旧宮廷教会拝廊付近のカメラです。

カトリック旧宮廷教会身廊のカメラです。

カトリック旧宮廷教会主祭壇前のカメラです。