マーカーはヴェーゼンシュタイン城です。
ヴェーゼンシュタイン城(英語:Schloss Weesenstein、ドイツ語:Schloss Weesenstein)
[ドレスデン中心部から南東へ約15km。Mueglitzの谷をAltenberg方向に約5km遡った岩山に立つ。城の名称は白い岩(Weesenstein)に由来する。
神聖ローマ帝国が成立した当時、この城があるドーナ(Dohna)周辺はボヘミヤへの対抗上重要な拠点のひとつであり、新たにドーナ(Dohna)伯を配置するなど強化が図られた。1040年、皇帝ハインリッヒIII世(在位:ローマ王・1039年 – 1056年、ローマ皇帝・1046年 – 1056年)がボヘミヤヘの進軍にあたりマイセン辺境伯エッケハルト2世(EkkehardtII)のザクセン軍とマインツ司教軍をここで統合させたとされる。
ドーナからMueglitz川を遡った要衝の地に立つヴェーゼンシュタイン城は南側のエルツ山地に向かう通路が防衛上重要性を増すに伴って体勢強化の一環として築かれた。
最初の建物は1200年ころに建てられたようであるが、歴史に初めて記述されたのは1318年。以降、1402年までは von Dohna伯家、von Buenau家などの所有を経て、次第に現在の姿を整えてきた。
皇太子時代からロマンティックな城を所有することを夢見ていたザクセン国王アントン(Anton・在位:1827年 – 1836年)が1830年に買収し、ヴェッティン家(Wettin)の所有となった。
ヴェーゼンシュタイン城の所有者として最も知られるのはその後ザクセン国王となったヨハン(Johann,在位:1854年 – 1873年)で、この国王は学問や政治に秀で、 ダンテの神曲をドイツ語に訳したことや、「法学者国王」あるいは「法学者の王」と呼ばれたなど、国民から高い尊敬を受けた。 ゼンパーオペラ前に立つ騎馬像はヴェッティン家800年記念に際してこのヨハン国王をたたえて建てられたものである
城の一部は博物館になっており、王族が使用していた部屋などを当時の状態のままで見ることができる。 (「ヴェーゼンシュタイン城-ドレスデン情報ファイル」より)]
ヴェーゼンシュタイン城平面図(拡大図・「weesenstein-oktober-2016-003 – Oiger」より)
「Schloss Weesenstein – Google Map 画像リンク」
ヴェーゼンシュタイン城庭園のカメラで、カメラ初期設定方向がヴェーゼンシュタイン城です。
ヴェーゼンシュタイン城ゲート内のカメラです。
ヴェーゼンシュタイン城内のカメラです。
ヴェーゼンシュタイン城テラスからのカメラです。