聖母教会(フラウエン教会)

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聖母教会(フラウエン教会)
[聖母教会(ドイツ語: Dresdner Frauenkirche)は、ドイツ東南部ザクセン州ドレスデンにある、福音主義のキリスト教会である。ドイツ福音主義教会を構成するザクセン福音ルター派州教会に属している。
教会の建物は第二次世界大戦中のドレスデン爆撃を乗り切ったものの、完全に焼損し爆撃の翌日崩壊した。現在はかつての敵同士の和解を象徴する建築物として再建された。外部の復元は2004年に、屋内は再建の開始より13年後の2005年に完了し、教会は2005年10月30日からプロテスタントの感謝祭である10月31日の宗教改革記念日まで、日を越して続いた祝賀式典により再び聖別された。
月に一度、ベルリンのセント・ジョージ英国国教会の牧師による晩祷が英語で執り行われる。
歴史
聖母教会は、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世カトリックだったにも関わらず、プロテスタントであるルター派の大聖堂として建築された。
最初のバロック様式の教会は1726年から1743年にかけてドレスデン市の大工長ゲオルク・ベーア(George Bähr)の設計で建築されたが、彼は最高傑作の完成を見ることなくこの世を去った。
1736年、高名なオルガン製作者ゴットフリート・ジルバーマンが3段の手鍵盤と43のストップを備えるオルガンを製作した。オルガンは11月25日に奉納され、12月1日にヨハン・ゼバスティアン・バッハが独奏会を行った。
教会は、高さが91.23m(再建後は91.24m)で、縦方向が50.02m、横方向が41.96mある。外観で最も特色があるのが型破りなドームで、直径が底部が26.15mあり、上部は約10mで、「石の釣鐘(die Steinerne Glocke)」と呼ばれた。
完成した教会はドレスデンの町に特色あるシルエットを与え、(カナレットと同名であることで知られる甥の)ベルナルド・ベッロットによる有名な絵と、ノルウェーの画家ヨハン・クリスチャン・ダールの「月光のドレスデン」によってそれは捉えられた。
1849年には、教会は5月蜂起(May Uprising in Dresden)として知られる革命の争乱の中心となった。聖母教会はバリケードによって取り囲まれ、すでに逃げられない反乱分子が、教会内で一網打尽になり逮捕されるまで戦いは続いた。
200年以上もの間、ベルの形をしたドームは古都ドレスデン地平線を見下ろし、そびえ立っていた。
1945年2月13日、英米同盟軍はドレスデン爆撃を開始した。聖母教会は二昼夜の攻撃に耐え、巨大なドームを内側から支える8本の砂岩製の柱は、都市に投下された約650,000の焼夷弾の熱に曝される中、教会の地下聖堂に避難場所を求めた300人の避難者が退避するまで持ちこたえた。教会の周囲と内部の温度は摂氏1000度に達したという。 2月15日午前10時、ドームはついに倒壊した。柱が真っ赤に輝き爆発し、外壁は粉々になった。6,000トン近い石材が崩れ落ちて堅牢な床を貫通し、床自体も陥没した。
聖母教会はドレスデンの輪郭から消え、黒ずんだ石材は、こんにち東ドイツとして知られる共産主義政権の統治下で、45年間市の中心部に積まれたまま放置された。第二次世界大戦の終戦直後、ドレスデン在住者は教会の破片の石を回収し、将来の復元に用いるために番号を振った。
1982年、廃墟は東ドイツの体制に対する平和裏な抗議行動と結びついた平和運動の場となり始めた。爆撃記念日には、花と蝋燭を持った400人のドレスデン市民が静かに廃墟へやってきたが、これは東ドイツにおいて高まりつつあった市民権運動の一部となった。1989年までにドレスデンやライプツィヒ、その他の地域の抗議運動者の数は何万人にもなり、東西ドイツを隔てるベルリンの壁は崩壊した。これによりドイツ再統一への道が開いたのである。
教会を再建しようという意志は、第二次世界大戦が終わる最後の数ヶ月の間すでに存在した。しかし東ドイツの政治的な事情により再建は遅れ、中断するに至った。ドイツ再統一後、活動は再燃した。
再建計画は勢いを増した。何百人もの建築家や美術史家、そして技術者が新しい建築物に再利用するために、それぞれの破片を識別し、付票をつけ、数千もの石を分類した。彼ら以外のメンバーは資金を調達する仕事に従事した。
ドイツ生まれのアメリカ人ギュンター・ブローベルは少年のころ、難民となった彼の一家が、爆撃される数日前にドレスデンのすぐ外の町に避難した際、聖母教会のオリジナルを見ていた。1994年、彼はドレスデンの美観および建築遺産の再建と維持の援助を目的とするアメリカの非営利団体「フレンズ・オブ・ドレスデン」(Friends of Dresden, Inc.)を設立し、代表取締役に就任した。1999年、ブローベルはノーベル生理学・医学賞を受賞したが、獲得した100万米ドル近い賞金をドレスデンの修復へ、聖母教会の再建と新しいシナゴーグ建設のため会社に全額寄付した。これは再建計画へ寄せられた個人の寄付の最高額だった。
聖母教会再建の費用は1億8000万ユーロだった。ドレスデン銀行は「献金証明書キャンペーン」によってこれの半分以上の資金を調達し、1995年以降も7,000万ユーロ近くの募金を集めた。またドレスデン銀行は、100万ユーロ越える従業員の寄付を含む700万ユーロ以上を寄贈した。長年に渡って、聖母教会の小さな石の破片を封入した時計が何千個も販売されたが、それには特別な記章が印刷されていた。ある出資者は230万ユーロ近い金額を聖母教会の石の破片を記念品として販売することにより賄った。
資金は再建の施行主体であり、ザクセン州及びドレスデン市、ザクセン福音ルター派教会の支援を受ける「ドレスデン聖母教会基金」へ引き継がれた。
1993年1月、教会建築技術者エベルハルト・ビュルガー(Eberhard Burger)の指揮の下、ゲオルク・ベーアが1720年代に用いた計画を使った再建がついに始まった。土台は1994年に築かれ、1996年に地下聖堂が、2000年にはドームの内部が完成した。
金めっきを施された新しいオーブと十字架は可能な限り18世紀の技術を用いてロンドンのグランドマクドナルド(Grant Macdonald Silversmiths)で鍛造された。2000年2月、十字架はイギリスの「ドレスデン・トラスト」(Dresden Trust)の王室の後援者ケント公によって正式に贈与され 、2004年6月22日にドームの上に取り付けられ、聖母教会の外装が完成した。
パイプが4,873本あるオルガンがフランスのストラスブールでダニエル・ケルンによって制作され、2005年4月に完成し、世界的に有名な建築物を再建しようという努力の集約は2005年に完了した。
聖母教会の上空からの写真(2008年)・wkipedia-photo、聖母教会と市場 (ベルナルド・ベッロット画)・wkipedia-photo、聖母教会(1880年)・wkipedia-photo、『聖母教会の廃墟(1991年)、手前の標識は「崩落の恐れがあるため立ち入り禁止」』・wkipedia-photo、保管されている聖母教会の廃墟の石材(1999年9月)・wkipedia-photo、クーポラを建設中の聖母教会(2003年)・wkipedia-photo、「聖母教会の北側の様子。爆撃から残った最大の遺構を取り入れている部分である。(2006年)」・wkipedia-photo、ドームの天井画・wkipedia-photo、内陣・wkipedia-photo、祭壇・wkipedia-photo、「ほぼ完成した聖母教会。歴史的な建物の輪郭を描き、そびえ立っている。」・wkipedia-photo  (wikipedia・聖母教会_(ドレスデン)より)]

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カメラ北東方向が聖母教会(フラウエン教会)です。

カメラ北東方向が聖母教会(フラウエン教会)です。

カメラ南南西方向が聖母教会(フラウエン教会)です。

聖母教会(フラウエン教会)内のカメラです。