エルジェーベト橋

マーカーはエルジェーベト橋です。

エルジェーベト橋
[エルジェーベト橋 (ハンガリー語: Erzsébet híd) は、ハンガリーの首都ブダペストドナウ川沿岸で、ブダ地区とペシュト地区(ペスト地区)を結ぶ3番目に新しい橋である。再建された現在のエルジェーベト橋は白いシンプルなケーブル吊橋だが、かつて同じ場所にあった旧エルジェーベト橋は、チェーン吊橋として特筆すべき長さと美しさを備えていた。
エルジェーベト橋はブダペストのドナウ河岸の中で川幅が最も狭い場所に架けられており、その距離はわずか290 m である。橋は、ペシュト側の旧市街教区聖堂(13世紀に建造されたペシュト地区最古の教会)や3月15日広場がある地区と、橋の名前の由来になったオーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリーザベトの銅像があるドブレンテイ広場やゲッレールトの丘に繋がるブダ側の地区を結んでいる。ブダ側には、近くにはラーツ温泉(Rácz Thermal Bath)やルダシュ温泉(Rudas Baths)もある。
ブダペシュト市内を流れるドナウ川に架かった最初の恒常的な橋は、ウィリアム・ティアニー・クラークが設計したセーチェーニ鎖橋(1849年)であった。クラークは、このあと、市内で川幅が最も狭くなる地区にも橋を架けることを計画していた。この計画が実現に向けて動き出したのは、1885年のことだった。市議会がセーチェーニ鎖橋の通行税をもとに、マルギット橋(1876年)に続く新しい橋を2本作ることを決議した。
最初の橋は1898年に建造が開始された。この年は奇しくもオーストリア皇后エリーザベト(ハンガリー王妃エルジェーベト)が暗殺された年である。エリーザベトはウィーンの王宮での厳格な生活を嫌い、ハンガリーのゲデレーの離宮で過ごすことを好み、ハンガリー語を身につけ、ペテーフィ・シャーンドルの詩を愛読するなど独立運動にも理解を示した。こうしたことから、ハンガリーでは「シシイ」の愛称で大いに親しまれていたのである。1903年に完成したその橋には、彼女の名前が与えられた。
橋はツェケリウスという人物が設計し、セーチェーニ鎖橋と同じチェーン吊橋の様式で建てられた。
しかし、そのエルジェーベト橋は、ハンガリー全土の他の多くの橋と同じように、第二次世界大戦末期に、退却するドイツ軍の工兵たちによって爆破されてしまった。その破壊はセーチェーニ鎖橋と同じ1945年1月18日のことだった。この橋はブダペストの橋の中で唯一、元通りの様式で再建されなかった橋である。かつての橋の写真や、元の橋から取り残されたいくつかのパーツは、市民公園内のブダペスト交通博物館前の芝生で見ることができる。
第二次世界大戦中に破壊されたブダペストの橋は、1940年代後半から1950年代初頭に相次いで再建された。しかし、エルジェーベト橋のみは長く放置され、1960年になってようやく再建が議論された。現在架かっている橋は、1961年から1964年に以前と全く同じ場所に再建された。なぜならば、当局には一から橋の土台を新造できる余裕がなかったからである。装飾性の高いチェーン吊橋から白いほっそりとしたケーブル吊橋へと変更されたのは、そうした資金面のほかに、新しい工法を試そうとしたという指摘や、従来の橋が幅11 m(歩道含む)に対し、交通量の増大に対応すべく新しい橋の幅が27.55 m (歩道含む)とされたことで、以前のようなチェーン吊橋での再建が難しくなったという指摘もある。
現在の橋にはかつてのような装飾性はないが、塔頂部には日差しとその陰によってアクセントを付けられるように、凹凸が施されている(画像参照)。また、現在の橋はかえってシンプルな上品さがあるという評価もある。
ドナウ川とエルジェーベト橋・wikipedia-photo、当初のエルジェーベト橋・wikipedia-photo、爆破されたあとの橋(1946年)・wikipedia-photo、ツィタデッラから眺めたエルジェーベト橋・wikipedia-photo、夜のエルジェーベト橋(2011年)・wikipedia-photo  (wikipedia・エルジェーベト橋より)]

カメラ南南東方向がエルジェーベト橋です。

エルジェーベト橋中央部のカメラです。

カメラ北方向がエルジェーベト橋です。

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