セーチェーニ鎖橋

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セーチェーニ鎖橋
[セーチェーニ鎖橋(Széchenyi Lánchíd [ˈse̝ːt͡ʃe̝ːɲiˌlɑ̈ːnt͡s(h)iːd])は、ハンガリーの首都ブダペストに架かる吊り橋である。全長380メートル。ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架かった恒常的な橋であり、西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいる。
イングランドの技師ウィリアム・ティアニー・クラーク(William Tierney Clark)が設計し、建設はスコットランドのアダム・クラーク(のちハンガリーに帰化してクラーク・アーダーム、Clark Ádám)の監督とハンガリー人セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の支援のもとでなされた。
橋の両側は彼らの名前を冠したセーチェーニ・イシュトヴァーン広場(Széchenyi István tér, 旧ルーズヴェルト広場 Roosevelt tér)とクラーク・アーダーム広場 (Clark Ádám tér)になっている。クラーク・アーダーム広場はハンガリー国内の道路の0キロメートル点となっており、原標が設置されている。
ブダとペシュトはドナウ川を挟んで発展した町で、それらを結ぶ橋を建設しようという試みは15世紀初頭以来、何度も見られたが、いずれも成功しなかった。
恒常的な橋の代わりに使われていたのは、並べた舟の上に橋を渡す「舟橋」や、一種のフェリーを利用する「飛び橋」などであったが、いずれも冬場になると押し寄せる氷を避けるために解体された。そのかわり、その時期にはやがて凍った川を渡れるようになるので、それが橋の代わりになった。
19世紀になると伯爵セーチェーニ・イシュトヴァーンが恒常的な橋の建設を本格的に検討するようになる。1839年には防水堰を建設するなど、実際の建設が始まった。錬鉄製のチェーンはイギリス製で、1846年秋から1年以上かけて順次ブダペストに搬入されており、1848年3月から実際に架けられ始めていた。この架設作業では終盤に滑車が壊れ、落下したチェーンによる死亡事故なども起こったが、橋は1849年11月20日に完成した。
当初、建設様式から単に「鎖橋」(ラーンツヒード)と呼ばれていたこの橋を「セーチェーニ橋」と名付けようと提案したのは、ハンガリーでの革命で指導的立場にあったコシュート・ラヨシュであった。現在の名前「セーチェーニ鎖橋」は、こうした経緯からついたものだという。しかし、セーチェーニ自身は完成した時点で病気療養中で、結局この橋を見ることも渡ることもないまま歿した。
最初に完成した橋は長さ410ヤード(約375 m)、幅39フィート(約12 m)、高さ海抜36フィート(約11 m)、主塔の高さ160フィート(約48.8 m)であった。
橋の両側のたもとにあるライオン像(合計4頭)は1852年に設置された。手がけたのは彫刻家のマルシャルコー・ヤーノシュ (Marschalkó János) である。このライオン像に関して、舌がないので除幕式の際に人々が彫刻家をからかい、彫刻家はドナウ川に投身自殺してしまったという逸話がしばしば紹介される。しかし、実際は口の奥に舌はあり、彫刻家はライオンは舌を垂らさないという判断でそのように彫ったのだという。
1870年に橋は国有化された。1877年のブダペスト工科大学の調査で、いくつかの点について改修の必要のあることが分かったが、実際の改修は1913年まで行われなかった。セーチェーニ鎖橋の改修を任された技師ベケとガリクは、外観の大幅な変更を禁じられていた。アイバーチェーン吊橋の外観を損ねないようにしつつ、交通量の増大にも対応できるように、チェーン自体の強化が図られた。この工事は1915年11月に終わった。
ブダペストは第二次世界大戦中の1944年3月にドイツ軍/a>によって占領されており、侵攻してきたソ連軍との間で激しい戦闘になった。ドイツ軍<は戦略上の理由から、同年12月から市内に架かる橋を次々と破壊し、セーチェーニ鎖橋も1945年1月18日に中央径間が破壊された。 セーチェーニ鎖橋は戦後に再建され、開通100周年に当たる1949年11月20日に開通式が行われた。再建にあたっては、以前の姿を復元することはもちろんのこと、河中に落ちた鋼材も可能な限り再利用された。セチィとパロタスという2人の人物の指導によって再建された橋は、その鋼材の55%が再利用されたものだった。 セーチェーニ鎖橋は1987年に「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区」の一部として、ユネスコ世界遺産に登録された(のち拡大されて「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」)。
1989年10月23日には、共産主義体制の終焉を祝う市民たちがこの橋に集まった。
現在のセーチェーニ鎖橋は、ブダペスト市内に架かる橋の中で最も美しいとも言われ、ヨーロッパ全体で見ても特に美しい橋のひとつであるとも言われる。この橋は夜になると美しくライトアップされる。日本語文献では、鎖橋の名の由来を(前記のような構造に基づく由来ではなく)電球が鎖状に連なる美しい装飾によるものと説明している文献も少なからず見られる。
車道と歩道とが存在する橋だが、6月中旬から8月中旬には休日だけ歩行者天国になる。
セーチェーニ鎖橋・wikipedia-photo、現在の重厚なアイバーチェーンと主塔・wikipedia-photo、舌がないと言われるライオン像・wikipedia-photo、王宮から望む鎖橋・wikipedia-photo、鎖橋の上から・wikipedia-photo、夕暮れの鎖橋・wikipedia-photo、ライトアップされた夜景・wikipedia-photo  (wikipedia・セーチェーニ鎖橋より)]

セーチェーニ鎖橋 – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向がセーチェーニ鎖橋です。

セーチェーニ鎖橋中央のカメラです。

カメラ北北東方向がセーチェーニ鎖橋です。

セーチェーニ鎖橋歩道部の360citiesです。

セーチェーニ鎖橋ライオン像前の360citiesです。

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