ツィタデッラ

マーカーはツィタデッラです。

ツィタデッラ
[ツィタデッラ(洪:Citadella [ˈt͡sitɒdelːlɒ]、城塞の意)とは、ハンガリーブダペストブダ地区のゲッレールト山の頂上にある城塞の事である。語源はイタリア語チッタデッラ (cittadella [t͡ʃitːaˈdelːla])。ツィタデッラと言う語は他の言語でも、ブダペストのゲッレールト山にある城塞の固有名詞のように使われている場合が多い。
ツィタデッラはゲッレールト山の頂上、標高235m地点に建てられている城塞である。U型の構造を持つ部分の長さは220m、幅は60m、4mの高さを有し、その内側は中庭となっている。
また、城塞として6つの砲台を有していた。
ツィタデッラは1851年、オーストリア帝国のハンガリー占領軍の全権総司令官、ユリウス・ヤーコプ・フォン・ハイナウ (Julius Jacob von Haynau) 陸軍大将によって市民を威圧するため建設が開始され、そのデザインはジタ・エマーヌエルとカシェーリク・フェレンツによって、1848年のハンガリー革命以後になされた。
非占領国であったハンガリーの人々の強制労働によって建設がなされ、1854年に完成し、同年6月にはオーストリア帝国軍が入城した。1867年にアウスグライヒが結ばれると、この城塞はオーストリア=ハンガリー二重君主国の所轄となり、ハンガリー王国はこの城塞の破壊を命ぜられたが、守備隊が駐留しており、1897年に正門が潰滅的被害を受けるまでは破壊は行われなかった。1899年になるとツィタデッラはブダペスト市の所轄となり、数箇月後の1900年に城壁が取り払われた。
1956年のハンガリー動乱ではソビエト連邦軍がツィタデッラを占領した。そして大砲からの砲火がナジ・イムレ政権が崩壊するまで市内に向かって浴びせられた。
ツィタデッラの頂上からは市内を一望出来、ドナウ川にかかる八つの橋や旧王宮のある城山も見る事が出来る。
また、ゲッレールト山上には他にも自由の像やホテル・ゲッレールト、ゲッレールト温泉、ゲッレールト山洞窟等がある。
ゲッレールト山の上にあるツィタデッラ・wikipedia-photo、ツィタデッラ俯瞰写真・wikipedia-photo  (wikipedia・ツィタデッラより)]

ツィタデラ(ブダペスト)/登城記|タクジローの日本全国お城めぐり

Citadella – Google Map 画像リンク

1850年から1940年まで10年ごとの歴史写真が掲げられている擁壁

カメラ南方向がツィタデッラです。

カメラ南東方向がツィタデッラの城門です。

ツィタデッラ城壁前に置かれている大砲。

自由の像後方のカメラで、カメラ北東方向左がツィタデッラ、右が自由の像です。

ツィタデッラ城壁上からの眺望です。

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