ドハーニ街シナゴーグ

マーカーはドハーニ街シナゴーグです。

ドハーニ街シナゴーグ
[ブダペシュト・ドハーニ街シナゴーグ(Dohány utcai Zsinagóga, Tabakgasse Synagoge)は、ブダペシュトペシュト中央部・第7区(エルジェーベト街 Erzsébetváros)の南端に位置するシナゴーグである。
このあたりはユダヤ教徒街で、ルンバッハ・シェベシチェーン通り、カジンツィ通り(ラビ学院がある)、クラウザール広場 Klauzál tér 、ヴァシュヴァーリ・パール通りなどと北方へ行けば、目立たないがシナゴーグやコーシェル・レストランがあり、ハシディズムの衣装を着たユダヤ教徒とも会える。ドハーニ(=タバコ)通り(Dohány utca, Tabakgasse)に聳えるためこの名で呼ばれる。
ヨーロッパで最も大きく、また世界ではエルサレムニューヨークに次いで3番目に大きいシナゴーグである。ビザンティン・ムーア様式。玉葱型の2本の塔(ドーム)が特徴的である。
1854年から1859年にかけ、ユダヤ系オーストリア人(アシュケナジム)フェルステル・ラヨシュ(ルートヴィヒ・フェルスター)とおなじくユダヤ系ハンガリー人フェスル・フリジェシュの手で建てられた。フェルステルはウィーンのシナゴーグの設計でも知られ、またフェスルはペーチ・シナゴーグ(Pécsi zsinagóga)なども設計している。
内部には男性1492席、女性1472席の2964の座席があり、改革派であるため巨大なオルガンと、ドハーニ街シナゴーグ合唱団 Chorus of Dohany Street Synagogue がある。フランツ・リストカミーユ・サン=サーンスが度々オルガンの演奏をした記録がある。現在もキリスト教徒(ロマ・オーケストラやオルガン奏者ヴァルヌシュ・クサヴェール Varnus Xavér など)によるコンサートが頻繁に行われる。
また、改革派であるため、男女を隔てるもの(メヒツァーなど)も一切無い。
中庭には、1991年に、ハンガリーの彫刻家のヴァルガ・イムレが作った、ホロコースト記念碑がある。
金属製の柳の木のようなモニュメントで、ホロコーストの大虐殺で死亡した人の名前が「葉」に刻み込まれている。 シナゴーグの内部にはハンガリー・ユダヤ博物館(Magyar Zsidó Múzeum, Országos zsidó vallási és történeti gyűjtemény)があり、ブダペストのローマ時代からのユダヤ教徒の生活・歴史・芸術・宗教に関する展示がある。 最上階は前衛・現代アート美術館となっている。
ヴェッシェレーニ通り(Wesselényi utca)にドハーニ通りが合流する地点にあり、更にヴェッシェレーニ通りがカーロイ環状通り(Károlyi körút)に合流する三叉路(四叉路)地点にあるので、位置的にも非常に目立つ。
近くにはヘルツル・ティヴァダル(失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こした一人。)公園がある。
ブダペストのシナゴーグ・wikipedia-photo、ホロコースト記念碑・wikipedia-photo  (wikipedia・ドハーニ街シナゴーグより)]

[第二次世界大戦ハンガリー枢軸陣営として参加したが、 1944年、離反を図ろうとしてナチス・ドイツによるパンツァーファウスト作戦により電撃的に国土を占領される。ナチスの後押しで政権に就いた矢十字党は、公然とユダヤ人の迫害を行い、20-40%に当たる250,000人のブダペスト大都市圏のユダヤ人人口はナチスと矢十字党による1944年と1945年初めの時期にホロコーストに遭い命を落とした。 スウェーデンの外交官ラウル・ワレンバーグはブダペストの数万人のユダヤ人の生命をどうにかして救うためスウェーデンのパスポートを交付し領事の保護下に置く行動を起こした。  (wikipedia・ブダペストより)]

カメラ北方向がドハーニ街シナゴーグです。

ドハーニ街シナゴーグ内のストリートビューです。

ドハーニ街シナゴーグ内三階席の360citiesです。

カメラ南東方向がホロコースト犠牲者の記念碑です。

カメラ東南東方向が上カメラのホロコースト犠牲者の記念碑の裏にある、ユダヤ人の救助者追悼記念碑で石碑にはラウル・ワレンバーグをはじめブダベストのユダヤ人をホロコーストから救った人たちの名前が刻まれています。(「中欧の旅:ブタペスト3, ブタペストのユダヤ人地区 – スカースデール村から」より)]

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