マーカーはブダペスト・ホロコースト・メモリアル・センターです。
ブダペスト・ホロコースト・メモリアル・センター(英語:Páva Street Synagogue, Budapest、ハンガリー語:Páva utcai zsinagóga)
[Google アートプロジェクト] – 「ブダペスト・ホロコースト・メモリアル・センター」
[第二次世界大戦でハンガリーは枢軸陣営として参加したが、 1944年、離反を図ろうとしてナチス・ドイツによるパンツァーファウスト作戦により電撃的に国土を占領される。ナチスの後押しで政権に就いた矢十字党は、公然とユダヤ人の迫害を行い、20-40%に当たる250,000人のブダペスト大都市圏のユダヤ人人口はナチスと矢十字党による1944年と1945年初めの時期にホロコーストに遭い命を落とした。 スウェーデンの外交官ラウル・ワレンバーグはブダペストの数万人のユダヤ人の生命をどうにかして救うためスウェーデンのパスポートを交付し領事の保護下に置く行動を起こした。
ドナウ川河岸の第二次世界大戦のユダヤ人記念物・wikipedia-photo (wikipedia・ブダペストより)]
[ホロコースト・メモリアル・センターは、ユダヤ人を強制収容所に送ってから60年目の2004年5月にシティ・センターの近くにある古いシナゴーグ(かってここはユダヤ人を一時抑留して置く[インターンメン ト・キャンプとして使われていました。)を改装して建てられました。ハンガリーでは社会主義時代にはホロコーストについての議論が許されていなかったため、人々は罪の意識を問われることすらありませんでしたが、EU(ヨーロッパ連合)への参加を前に、政府は過去の過ちについて正面から向き合う決意をしたようです。設立当初は、場所がかってのゲットーでなかったこと、博物館を神聖なシナゴーグに建てることなど、様々な異論があったとのことですが、今ではプダペストの観光ルートとして(特にユダヤ系の観光客に対して)定着しているようです。 (「中欧の旅:ブタペスト3, ブタペストのユダヤ人地区 – スカースデール村から」より)]
「Holocaust Memorial Center – Google Map 画像リンク」「Páva utcai Zsinagóga – Google Map 画像リンク」
カメラ南東方向がブダペスト・ホロコースト・メモリアル・センター入口です。
シナゴーグの正面ファサードです。
シナゴーグ内のカメラです。