アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)

マーカーはアウシュヴィッツ第一強制収容所です。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所アウシュヴィッツ第三強制収容所モノビッツ

[Google アートプロジェクト] – 「アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館

アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)
[PKSクラクフバスターミナルから出る高速バスはダイレクトにアウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)に着きます。到着時は10時過ぎぐらいでしたが、入場口はすでに混雑しています。チケットは建物に入って右手側の窓口から買えます。現在アウシュヴィッツでは、近年の見学者の増加に対して対策をとるようにしています。具体的には4月~10月のシーズン中は、単独での見学は午前10時から午後3時の間は認められておらず、この時間帯の見学者は全てグループガイドツアーを組まれます。要は前回のヴィエリチカの時の様に、使用言語によって時間を分けて効率よく見学者を捌くようにしています。どうやら日本語ガイドの人もいるらしいのですが、利用するためには事前予約および一定数以上の見学者が必要のようです。第一収容所のガイドツアー時間は大体90分~2時間ぐらいでしょうか。この後、第一収容所からシャトルバスに乗って第二収容所ビルケナウ(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所)に移動します。ビルケナウは第一収容所と違って無料で自由に入場・見学可能です。そのため、ここでガイドを離れて自分で勝手に行動することも可能です。が、第一収容所のガイドさんもそのままビルケナウまで移動して、ビルケナウ内部を説明してくれるのでついていった方がお得です。ただ、昼食タイムが無いので、どこぞかで軽食を買っておくとかしておかないと後々困ります。第一収容所からシャトルバスで5~10分ほどで、かの悪名高き第二収容所ビルケナウの目の前に着きます。  (「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 – 猫が1匹おりますねん …」より)]

カメラ位置は駐車場入り口で、カメラ東北東方向がチケット売り場になります。

カメラ南東方向が第一強制収容所正門で、入り口には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の一文が掲げられています。

カメラ位置は『死の壁』前です。

[アウシュヴィッツ強制収容所
[アドルフ・ヒトラー率いるナチス党政権下のドイツ(ナチス・ドイツ)が行ったホロコーストの象徴と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」とは、1940~1945年にかけて現在のポーランド南部オシフィエンチム市郊外につくられた、強制的な収容が可能な施設群(List of subcamps of Auschwitzに一覧)の総称である。ソ連への領土拡張をも視野に入れた「東部ヨーロッパ地域の植民計画」を推し進め、併せて占領地での労働力確保および民族浄化のモデル施設として建設、その規模を拡大させていった。
地政学的には「ヨーロッパの中心に位置する」「鉄道の接続が良い」「工業に欠かせない炭鉱や石灰の産地が隣接する」「もともと軍馬の調教場であり、広い土地の確保が容易」など、広範なドイツ占領下および関係の国々から膨大な数の労働力を集め、戦争遂行に欠かせない物資の生産を行うのに適していると言える。また、次第に顕著となったアーリア人至上主義に基づいた「アーリア人以外をドイツに入国させない」といった政策が国内の収容所の閉鎖を推し進め、ポーランドに大規模な強制収容所を建設する要因にもなった。労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子供・老人、さらには劣等民族を処分する「絶滅収容所」としての機能も併せ持つ(参考:ホロコーストホロコースト否認)。一説には「強制収容所到着直後の選別で、70~75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれた」とされており、このため正確な総数の把握は現在にいたってもできていない。
収容されたのは、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、さらにはこれらを匿った者など。その出身国は28に及ぶ。ドイツ本国の強制収容所閉鎖による流入や、1941年を境にして顕著になった強引な労働力確保(強制連行)により規模を拡大。ピーク時の1943年にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されている。

現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。

アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)
1940年5月20日、ドイツ国防軍が接収したポーランド軍兵営の建物をSSが譲り受け開所。約30の施設から成る。平均して13,000~16,000人、多いときで20,000人が収容された。被収容者の内訳は、ソ連兵捕虜、ドイツ人犯罪者や同性愛者、ポーランド人政治犯が主となっている。後に開所する「第二強制収容所ビルケナウ」や「第三強制収容所モノビッツ」を含め、アウシュヴィッツ強制収容所全体を管理する機関が置かれていた。
入り口には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の一文が掲げられている。「B」の文字が逆さまに見えることについて、SSの欺瞞(ぎまん)に対する作者(被収容者)のささやかな抵抗と考えられている。10号棟には人体実験が行われたとされる実験施設が、11号棟には逃亡者や収容所内でのレジスタンス活動を行った者に対して銃殺刑を執行するための「死の壁」があり、そのほかには、裁判所、病院などがあった。収容施設は、女性専用の監房、ソ連兵捕虜専用の監房などといった具合に分けられている。また、アウシュヴィッツ最初のガス室とされる施設がつくられたが、後に強制収容所管理のための施設となった。戦後、ガス室として復元され、一般に公開されている。
第一強制収容所正門・wikipedia-photo、「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)と記されている。Bの文字が反転している(第一強制収容所)」・wikipedia-photo、「『死の壁』。多くの被収容者がこの壁の前で銃殺刑に処された」・wikipedia-photo、絶望のあまり自ら高圧電流が流れる鉄条網に触れて自殺する者もいたという(第一強制収容所)・wikipedia-photo、人体実験の舞台となった第10地区の病院(第一強制収容所)・wikipedia-photo、「オシフィエンチムの市街地をとりまくように造られた施設群。とりわけ第二強制収容所の規模が大きい」・wikipedia-photo、復元された焼却炉(オシフィエンチム博物館展示)・wikipedia-photo、ヘスの絞首刑台(オシフィエンチム博物館展示)・wikipedia-photo、「収容の際に撮影された被収容者たち。縦じまの囚人服には、分類のためのマークがつけられている(オシフィエンチム博物館展示)」・wikipedia-photo、「おびただしい数の眼鏡フレーム。収容の際に没収されたもの(オシフィエンチム博物館展示)」・wikipedia-photo、「靴の山。女性もののサンダルも(オシフィエンチム博物館展示)」・wikipedia-photo  (wikipedia・アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所より)]