マーカーは日本美術・技術センター“マンガ”館です。
日本美術・技術センター“マンガ”館(日本語:日本美術・技術センター“マンガ”館、ポーランド語:Muzeum Sztuki i Techniki Japońskiej „Manggha”)
[「日本美術・技術センター“マンガ”館」は、ポーランド、クラクフのヴァヴェル城のヴィスワ川対岸にあり、館名の「マンガ」の由来は葛飾北斎の北斎漫画で、建物の設計は日本の建築家・磯崎新です。 (wikipedia・クラクフより)]
[日本美術技術センター“Manggha”は、「京都-クラクフ基金」により1994年11月、ヴィスワ川のほとり、クラクフの王城ヴァヴェルの対岸に開館しました。浮世絵をはじめとして、掛け軸、屏風、甲冑、刀剣、鍔、陶器、印篭、根付けなどの日本美術品がギャラリーに常設展示されています。また、その内側に位置する特設展示場では、日本の最新技術と現代美術が紹介されています。“Manggha”には、約7000点の日本美術品コレクションがあります。これらのほとんどは、フェリクス・ヤシェンスキという1人のポーランド人が19世紀末から20世紀初めにかけて収集し、1920年にクラクフ国立博物館に寄贈したものです。このセンターの通称「Manggha(マンガ)」とは、浮世絵を愛した彼が「北斎漫画」からとった自分のニックネームでした。
「灰とダイヤモンド」や「地下水道」などの作品で知られる、ポーランドを代表する映画監督アンジェイ・ワイダは、青年の頃ある展覧会でクラクフの日本美術品を観て衝撃的な感動を受けました。その感動は現在の彼を創り出した一要素として以来彼の心にとどまり、1987年に、日本において科学芸術の貢献者に与えられる「京都賞」を受賞した時、この賞金を基に「京都-クラクフ基金」を提唱することになりました。この基金は、クラクフの日本美術品を常設できるセンター建造を目的とし、岩波ホールを拠点として募金活動が展開されました。そしてたくさんの企業・団体・個人、そして日本大使館の協力の結果、センター“Manggha”が生まれたのです。 (「Manggha(マンガ・日本美術技術センター)にて」より)]
「日本美術技術博物館 – Google Map 画像リンク」
カメラ北東方向が日本美術・技術センター“マンガ”館です。
日本美術・技術センター“マンガ”館のストリートビューです。