ショパンのサロン(フレデリック・ショパン博物館の支部)

マーカーはショパンのサロンです。

ショパンのサロン(フレデリック・ショパン博物館の支部・ (美術大学の建物、グラフィック・アート学部、3階))
[フレデリック・ショパンが母国を離れる前に数年間住んでいたアパートの一部であるサロンは、アントニ・コルベルク(Antoni Kolberg)の線画を基に復元されたものです。そこにはショパンの時代の家具が置いてあり、また19世紀に製作されたブッフホルツ社のピアノがあります。展示には、ショパンの両親と姉妹の肖像画、19世紀前半のワルシャワが描かれている印刷物、ガラス製品、磁器などがあります。  (「ワルシャワ観光案内所のサービスについて – Warszawa」より)]

[ショパン一家はこの宮殿に1827年、フレデリックの末妹エミリアの死後に引っ越してきました。ショパンはここで生まれて初めて、屋根裏にピアノ付きの自分の部屋を与えられました。17世紀末に有名な建築家ティルマン・ファン・ハメレンによって造られたこの宮殿は、ショパンの時代はヴィンツェント・クラシンスキが所有していました。建物のうちのひとつは有名な詩人、C.K.ノルヴィドも通っていた私立の美術学校でした。その後1952年からこの建物は美術大学となりました。ショパン一家が住んでいた3階の一角は現在“ショパン家のサロン”と呼ばれる博物館になっています。この博物館の内装は、ショパンの友人であり隣人であったアントニ・コルベルグが1832年に描いた絵を元につくられています。宮殿の正面にはショパンが祖国を離れて100周年にあたる年につくられたプレートが掲げられており、そこには「1830年にワルシャワを永遠に去るまで、ショパンはこの家に住みそして作品を生み出した」という文が刻まれています。  (「チャプスキ・クラシンスキ宮殿 | Warszawa Chopina 2010」より)]

カメラ西方向が美術大学の絵画・グラフィック学部などのアトリエが入っている建物で、三階にショパンのサロン(フレデリック・ショパン博物館の支部)があります。

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