マーカーはバルバカンです。
バルバカン(英語:Warsaw Barbican、ポーランド語:Barbakan w Warszawie)
[王宮前広場から北に向かって広がる。ヨーロッパではワルシャワとクラクフとフランスのとある町の3箇所にしかないバルバカン(円形の砦)を基点に旧城壁が取り囲む一帯が旧市街で、旧市街広場を中心とする。14世紀までに開発された。
バルバカン – ワルシャワ旧市街の 城壁の外から見たワルシャワバルビカン・wikipedia-photo
バルバカン – ワルシャワ旧市街の 城壁内から見たバルビカン・wikipedia-photo
バルバカン – バルバカンと堀・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、バルバカン(ワルシャワ)の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・ワルシャワより)]
[バルバカンはベニスのジョヴァンニ・バッティスタの設計で、1548年に建設された砦です。1936~38年にはバルバカンの下部が発掘され、城壁の一部とプロホヴァ天守閣(Baszta Prochowa)と共に再建工事が行われました。そして1953~54年に、バルバカンそしてモストヴァ通りul. Mostowaとポドヴァレ通りul. Podwale側の城壁は完全に復元されました。 (「ワルシャワ観光案内所のサービスについて – Warszawa」より)]
[ワルシャワの最も古い地区、破壊された旧市街は戦後になってから復元されたことはお伝えした。この旧市街の周りは14世紀から15世紀にかけて赤いレンガ作られた城壁で囲まれていたが、その中心になるバルバカンと呼ばれる砦と一部の城壁も同じように復元された。
バルバカンは砦を意味するラテン語のバルベカーネから来た言葉だと言う。少し離れたところから見ると、旧市街が城壁都市”’であったことがよくわかる。こうしたバルバカンはヨーロッパの都市ではほとんど見られなくなっているが、ポーランドではワルシャワだけでなく、古都のクラクフにもある。 (「バルバカン~ワルシャワ旧市街の砦 – Yahoo!ブログ – Yahoo! JAPAN」より)]
バルバカン 1939 年の計画図(「1826 – Zdjecia kamienicy w ramach opisu Barbakanu」より)
「Warsaw Barbican – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向がバルバカンです。
カメラ東北東方向がバルバカンです。