ピウスツキ広場(独立広場)

マーカーは無名戦士の墓です。

ピウスツキ広場(独立広場)・無名戦士の墓
[1918-1920年間に戦死の遺骨を納めた無名戦士の墓、1944年に破壊され再建した。  (wikipedia・無名戦士の墓より)]

[無名戦士の墓は、独立ポーランドのために命を落とした無名の英雄たちを追悼する、元サスキ宮殿(Pałac Saski)のアーケードの下に設けられた象徴的な墓です。1944年にサスキ宮殿は破壊されましたが、この墓のあるアーケードの部分だけは残りました。ここには、1925年11月1日にウィチャコフスキ墓地(Cmentarz Łyczakowski)に安置されたリボフ(Lwów)を防御した無名戦士の遺骨と、第一次世界大戦の戦場の土の入った壷が安置されていました。現在修復された無名戦士の墓には、ポーランドの英雄たちが戦死した20世紀の戦場の土の入った壷も安置されています。  (「ワルシャワ観光案内所のサービスについて – Warszawa]」より)]

サスキ宮殿
[第二次世界大戦で列柱だけが残ったこの宮殿はもともとサクソニア王家が所有していたもので、サスキ宮殿という名前はそこに由来しています。1797年にはその頃のワルシャワを占領していたプロイセン王国政府の所有物となりました。ワルシャワ立憲王国時代だった1810年、フレデリック・ショパンの父がこのサスキ宮殿の一角にあったワルシャワ高等学校の仕事を得たため、ショパン一家はここへ引っ越してきます。1817年サスキ宮殿は軍の所有となったためショパン一家はここを去り、ワルシャワ高等学校は移転しました。19世紀中頃に宮殿にあったふたつのウイングを結ぶ柱廊がつくられ、1925年にはその下に無名戦士の墓が建てられました。しかしこの宮殿は1944年にナチス・ドイツ軍によって破壊され、現在はこの無名戦士の墓の上にある列柱だけが残っています。  (「サスキ宮殿 | Warszawa Chopina 2010」より)]

カメラ初期設定方向がピウスツキ広場(独立広場)です。

ピウスツキ広場(独立広場)中央のカメラです。

ピウスツキ広場(独立広場)無名戦士の墓前のカメラです。

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