ヴェーデル本店

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ヴェーデル本店
[ヴェーデル(あるいはヴェデル)はポーランドの有名菓子ブランド。多種の高級チョコレート、ケーキ、スナック菓子を製造している。ポーランド国内ではキャンディーのブランドとしても知られ、国内のキャンディー市場におけるシェアは2005年で14%、2007年で11.7%。「ポーランドの国民的ブランド」と認識されている。
2010年6月、アメリカのクラフト・フーヅがこれを日本のロッテ・グループに売却することが決定した。これは、ヴェーデルを所有していたキャドバリーが2010年3月にクラフト・フーヅに買収されたことに伴い、ヨーロッパ委員会(EC)の裁定に従いキャドバリーの事業再編が行われるため。
ヴェーデルの歴史
1851年にドイツ人移民1世のカロル・エルネスト・ヴェーデル(ドイツ語:カール・エルネスト・ヴェーデル)(1813-1902)によってワルシャワで創業。当時の本店および工場は「ミォドーヴァ(はちみつ)通り」にあった。ヴェーデルとその製品は中央ヨーロッパと東ヨーロッパのほとんどの地域で定着した。
戦前のヴェーデルの最後のオーナーとなるヤン・ヴェーデル(-1960)は「ポーランドのウィリー・ウォンカ(『チャーリーとチョコレート工場』に出てくるチョコレート工場主で、映画版ではジョニー・デップが演じた)」と呼ばれる。1894年、本社工場が現在も本店があるワルシャワの「シュピタルナ(病院)通り」に移転。
「ポーランドのウィリー・ウォンカ」ことヤン・ヴェーデルは戦争については自分の考えがあった。ヴェーデル社の工場は1944年までは稼動していた。占領者のナチス・ドイツヘルベルト・バッケの発案でワルシャワ市民に対する飢餓政策を採った際、ヴェーデルは市民のためにパンなどの基本的な食料を秘密生産した。当時はポーランド人が食料を秘密生産していることが見つかればその場で射殺されるという残酷な占領政策がとられていたが、ドイツ人の先祖を持つポーランド人のヤンはドイツ人たちから勝手に「ドイツ人」扱いされていたので、このことを逆手にとったのである。占領者だったドイツ軍からの食料拠出命令には経営者と従業員が一丸となってサボタージュ戦術で対抗、またポーランド人地下教育活動(Education in Poland during World War II)の拠点として市民に自社を提供した。 血筋からいえば本人はドイツ系であるにもかかわらず、ヤンはナチス・ドイツへは協力せず、「自分はポーランド人である」と言い、ドイツ民族登録リストであるフォルクスリステ(Volksliste)への署名を拒否し続けた。そのためナチスはヤンとヴェーデル従業員たちを迫害した。戦争はポーランドとヴェーデル社を破壊した。ワルシャワ蜂起の後、ワルシャワの建物はことごとく破壊された。
戦争が終わるとヴェーデルは自社工場を再建したが、共産主義者の政府がこれらを接収した。ヤンは経営権を奪われた。ヤン・ヴェーデルは1960年に死去した。
1989年に共産主義体制が終了すると、ヴェーデルは民営化した。しかし共産主義時代を経てヴェーデル一族をはじめとした戦前の株主たちやその子孫は、ヴェーデルの経営に関するノウハウや独自の人材を失っていたので、彼らだけではヴェーデルの経営を行うことが難しくなっていた。そこで、1991年にアメリカの食品コングロマリットであるペプシコ社が5000万-6000万ドルでヴェーデル株式の過半を買収し、同年11月26日にヴェーデル社はワルシャワ証券取引所に株式上場を果たした。1999年、キャドバリー・シュウェップスはヴェーデルとその工場をペプシコ社から譲渡された。
ワルシャワのヴェーデル本店・wikipedia-photo、ヴェーデル本店のオープンカフェ・wikipedia-photo、ワルシャワのヴェーデル本店の内部・wikipedia-photo  (wikipedia・ヴェーデルより)]

カメラ東南東方向角がヴェーデル本店です。

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