シューマン旧宅(シューマン・ハウス)

マーカーはシューマン旧宅(シューマン・ハウス)です。

シューマン旧宅(シューマン・ハウス、Schumann-Haus)
[ドイツ・ロマン主義の代表的な作曲家となるロベルト・シューマン(1810~1856)は、1828年にライプツィヒ大学で法律を学び始め、捨て切れぬ音楽への情熱から当地のピアノ教師フリードリヒ・ヴィークの門を叩きました。音楽の街ライプツィヒが彼の運命を決定付け、やがてヴィークの娘で「神童ピアニスト」としてヨーロッパ中で喝采を浴びていたクララ(1819~1896)と恋に落ちます。2人は逆境を経て1840年9月12日に近郊のシェーネフェルト教会(Gedächtniskirche Schönefeld)で婚礼を挙げ、翌日(クララ21歳の誕生日)からこの新居での生活を始めました。
ロベルトが『交響曲第1番「春」』や、日本で親しまれている合唱曲『流浪の民』を書いたのもこの家で、また子煩悩で知られる彼にとって初めての子となる長女マリーと次女エリーゼも、共にここで産声を上げました。
現在はロベルト&クララ・シューマン協会の管理する博物館として整備され、2人の生涯と作品をテーマとする音楽史の大切な1ページが紹介されています。童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンもシューマン夫妻に会うために訪れ、作曲家リヒャルト・ワーグナーもライプツィヒへ帰郷の度に定宿としたというこの建物は、同時にライプツィヒに残る数少ない新古典主義建築のひとつとしても貴重な文化遺産となっています。  (「観光案内~ライプツィヒ発見 音楽 シューマン旧宅」より)]

カメラ東北東方向建物の中にシューマン旧宅(シューマン・ハウス)があります。

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