ニコライ教会

マーカーはニコライ教会です。

ニコライ教会
[中心街のニコライ教会とトーマス教会は、市内の2つの主要教会として歴史上ライプツィヒの信仰と音楽の分野における重要な役割を果たしてきました。14世紀以降、何百年にもわたってトーマス教会音楽監督が両教会の音楽を統括する立場にあったため、トーマス教会少年合唱団は第二次世界大戦前までニコライ教会の礼拝に参加し、ヨハン・セバスチャン・バッハはトーマス教会音楽監督在任中ここで『ヨハネ受難曲』や『クリスマス・オラトリオ』、モテットの傑作『イエス、わが喜び』を初演したといわれています。現在、教会内にはバッハを讃えた小さな胸像が置かれています。教会の北隣には、ライプツィヒに生まれたリヒャルト・ワーグナーゆかりの旧ニコライ学校も残ります。
ライプツィヒは商都として発展したため、商業の守護聖人・聖ニコラウスに捧げられた当教会は広い信仰を集めます。宗教改革によってプロテスタントルター派の都市ライプツィヒの中央教会となり、商人をはじめ市民の手厚い保護を受けて当地の隆盛を反映する豪華な装飾が施されてきました。後期ゴシック様式の外観に創建当時のロマネスク様式の面影が残る一方、新古典主義様式の内部には教会とは思えないようなシュロの木をかたどった列柱が並び、6,804本のパイプと5段の鍵盤を持つパイプオルガンはザクセン州最大・ドイツ国内でも有数の大きさを誇ります。若きゲーテも師事した当地の画家、アダム・フリードリヒ・エーサーの筆による内陣に掲げられた一群の絵は、天井にある天使と虹のモチーフが特に印象的です。
1165年に創建の始まった市内最古の教会でありながら、ここは同時にドイツ現代史の舞台でもあります。東ドイツ時代、ここでは東西冷戦の緊張の中で毎週月曜に平和のあり方を考える「平和の祈り(Friedensgebete)」が開かれるようになり、その規模は言論・政治活動・出国の自由を求める人々によって次第に拡大し、教会外へのデモ行進へと発展してゆきました。来たる1989年10月9日、7万人に膨れ上がった参加者が「我々が人民だ(Wir sind das Volk!)」(=我々こそが主権者たる国民だ)と叫びながら広場や通りを埋め尽くすという大規模なデモが起こり、これによって東ドイツ平和革命の口火が切られます。瞬く間に東ドイツ全土に広まった反体制運動はその1ヶ月後にベルリンの壁を崩壊させ、わずか1年後には東西ドイツが統一されました。ニコライ教会は「東西ドイツ統一革命の出発点」として世界史にその名を刻み、ライプツィヒの象徴として現在を生き続けています。周囲の広場の一角には教会の柱をかたどったニコライ記念柱 (Nikolaisäule)が立ち、その足元には革命開始の日付と人々の足跡が刻まれたレリーフが埋め込まれています。「平和の祈り」も途絶えることなく守られており(毎週月曜17:00~)、閉会後には小規模ながらデモ行進も行われます。  (「観光案内~ライプツィヒ発見 歴史 ニコライ教会」より)]

カメラ東北東方向がニコライ教会です。

ニコライ教会北西方向夜の360citiesです。

ニコライ教会身廊の360citiesです。

ニコライ教会祭壇前のカメラです。

ニコライ教会内陣の360citiesです。

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