マーカーは旧ニコライ学校(ワーグナー博物館)です。
旧ニコライ学校(ワーグナー博物館)(ドイツ語:Alte Nikolaischule (Leipzig))
[西洋の芸術と文化全体に多大な影響を及ぼした作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)は、1813年5月22日 ―諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)の約5ヶ月前― ライプツィヒに生まれました。中心街・ニコライ教会の隣には、1512年から1872年まで市立ニコライ学校が置かれていた旧校舎が残ります。ゴットフリート・ライプニッツ、クリスチャン・トマジウス、ヨハン・ゴットフリート・ゾイメ(Johann Gottfried Seume)らの学んだこの旧ニコライ学校で、青年ワーグナーも1828年から1830年まで音楽をはじめとする教育を受けました。彼の200回目の誕生日を迎えた2013年5月、ここにはその足跡を記念する小さなワーグナー博物館が開設されました。
階段を下りた地下階で行われている常設展「若きリヒャルト・ワーグナー 1813~1834」では、音楽の街ライプツィヒが青年ワーグナーをいかに音楽の道へと方向付け、そしてこれが後の彼をどのように総合芸術家に至らしめたのかをテーマに、誰もが知る大規模な舞台作品の陰に隠れたライプツィヒ時代のピアノ曲やオペラ『妖精(Die Feen)』などが彼自身が生徒であった学校というゆかりの場所に紹介されます。著名なバイエルン州バイロイト市のワーグナー博物館(ヴァーンフリート荘)における円熟の巨匠という視点に対し、ライプツィヒのワーグナー展はこれを補い、彼の全貌を完成させる重要な役割を担います。そして旧校舎の3階部分には、当時ワーグナーが音楽の授業を受けた新古典主義様式の講堂(Richard-Wagner-Aula)があります。ライプツィヒに唯一現存する若きワーグナーと音楽との出会いを伝える場所として、今日ここは文化行事等に使用されています(通常非公開、事前申し込みによるツアー見学可)。 (「観光案内~ライプツィヒ発見 音楽 旧ニコライ学校・ワーグナー展」より)]
「Richard Wagner Ausstellung – Google Map 画像リンク」
カメラ北北東方向が旧ニコライ学校(ワーグナー博物館)で、カメラ南南東方向がニコライ教会です。