諸国民戦争記念碑

マーカーは諸国民戦争記念碑です。

諸国民戦争記念碑
[ライプツィヒのシンボルとなっているこの巨大な建造物は、この地で繰り広げられた諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)を記念するものです。1813年10月、フランスを筆頭とするナポレオン軍とプロイセンロシアオーストリアスウェーデン連合軍がライプツィヒにて激突し、これに敗れた皇帝ナポレオンのヨーロッパ支配が幕を閉じるという世界史を動かす出来事がありました。
記念碑はその戦後100年となる1913年、古戦場の中央に建設されました。記念碑建造物としてヨーロッパ最大でその高さは91メートル、屋上からは360度の眺望を得ることができます。内部では約10メートルの石像、幾多の騎士像をあしらった高さ68メートルの天井ドームが重厚な雰囲気を醸し出し、また建設の過程や、記念碑がその後どう受容されてきたかについての展示も行われています。記念碑前の池が湛える水は、この戦争のために流された涙を象徴するものです。周囲に茂る夏草は、ここが〝夢の跡〟であることを静かに物語ります。記念碑に附属した1813年記念館(Forum 1813)は諸国民戦争に至る背景から戦乱の終結まで、この歴史的出来事をテーマとする展示施設です。武器・軍服・鎧・そして個人の思い出の品々が、引きずり込まれた兵士たちの悲しみや戦争のむなしさを今へと伝えています。
また記念碑の敷地の正門前、右側にある小高い丘にはナポレオン石碑(Napoleon-Stein)と呼ばれる小さなモニュメントがあります。この丘は皇帝ナポレオンが自ら合戦を指揮した本営のあった場所で、石碑は諸国民戦争記念碑が建造されるまで、ライプツィヒにおける諸国民戦争のシンボルでした。かつてライプツィヒ大学に留学した森鷗外は、幾度か石碑まで足を運んだことを1885(明治18)年当時の日記に残しています。諸国民戦争記念碑の裏手に広がる南墓地(Südfriedhof)は国内最大といわれる公園墓地で、ここには心理学者ヴィルヘルム・ヴント、音楽学者フーゴー・リーマン、農芸化学者オスカル・ケルネルお雇い外国人として滞日)、ケヴァントハウス楽長アルトゥル・ニキシュフランツ・コンヴィチュニートーマス教会音楽監督カール・シュトラウベギュンター・ラミン他多数のライプツィヒの名士たちが眠っています。  (「観光案内~ライプツィヒ発見 歴史 諸国民戦争記念碑」より)]

カメラ東方向が諸国民戦争記念碑です。

諸国民戦争記念碑前夜のカメラです。

諸国民戦争記念碑ドーム入口前の360citiesです。

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