マーカーはサエイマです。
サエイマ(英語:Saeima)
[1980年代、バルト三国の中で、もっとも早くソ連からの独立運動が展開されたのはラトビアであった。1988年にはラトビア独立戦線が結成され独立運動が展開され、1991年1月のリトアニアのテレビ塔の流血事件(血の日曜日事件)と同じく、ラトビアでもソ連内務省特殊部隊の襲撃事件を起こす。その後のソ連のクーデター失敗後、ラトビアは独立を宣言した。その後ラトビア含めたバルト三国は、北欧資本の受け入れなどが積極的に行われ、ラトビアはバルト三国でも立ち後れている感があるともいえるが、経済は比較的安定している。また、国際関係では、2004年に北大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)に加盟している。しかし国内に多数を占めるロシア人との潜在的な対立は、ロシアとの外交的問題でもあり、ラトビアの政治に影を落としている。 (wikipedia・ラトビアの歴史 – 独立回復より)]
[サエイマは、ラトビア共和国の一院制議会。
●設置年:1991年
●任期:4年(解散あり)(憲法第10条)
●定数:100(憲法第5条)
●選挙制度:自由名簿式比例代表制(全国を5ブロックに区分し、各ブロックから14~29人選出)。解散の場合を除き、選挙年の10月第1土曜日に選挙を実施(憲法第7条、第11条、第12条) (wikipedia・サエイマより)]
バリケード記念碑
[1991年、ラトビアは独立宣言した。その直前、1989年当時ラトビア人による独立運動の最中、ソ連内務省の特殊部隊が人間バリケードを築いて国会議事堂など重要な施設を守ろうとした人たちを攻撃した。武器を持たぬまま抵抗した人たちから沢山の犠牲者が出たという。そのバリケードの記念碑が聖ヤコブ教会の傍にあった。リーガ大聖堂の近くには「1991年のバリケード博物館」というものまで建てられている。ラトビアの歴史では大変大きな事件だったのである。 (「『バルト三国の旅』 NO.13 世界遺産「リーガの旧市街」 – おじんの徒然 .」より)]
「Saeima – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向樹木前に三角錐のバリケード記念碑があり、記念碑の右の建物がサエイマです。
カメラ北西方向がサエイマです。
サエイマ階段ホールの360citiesです。
サエイマ会議場の360citiesです。