旧市庁舎

マーカーは旧市庁舎です。

旧市庁舎(Town Hall of Kaunas)
[中世には市場が立った市民広場にある、18世紀のバロック建築の建造物です。その外観の美しさから「白鳥」とも称されています。帝政ロシア時代には政治犯の牢獄として、その後は皇帝の別宅としても使用されていました。現在は市の結婚登記所となっており、館内の一部は陶器博物館になっています。高さ58メートルの塔が何とも印象的です。  (「DTACリトアニア観光情報局 – カウナス」より)]

[カウナスの歴史は、少なくとも10世紀まで遡ることができ、最初に、現存する文書に登場するのは1361年のことである。13世紀にはドイツ騎士団の攻撃から街を守る為に城壁が造られたという。1408年、マクデブルク法による特許を得て以後、重要な川港を擁する交易の中心地として発展を始める。1441年、ハンザ同盟の都市となり、同盟の商業事務所が置かれた。16世紀、リトアニア大公国の元で街は大きく発展した。17世紀から18世紀に掛けて、ロシア帝国スウェーデン・バルト帝国ナポレオン軍などの侵攻を受け、また疫病の流行などもあって街は荒廃した。1862年、ロシアとドイツを結ぶ鉄道が開通すると、カウナスは重要な中継地点となり、1892年には最初の発電所が稼働を始めた。1919年、それまで首都であったヴィリニュスがロシアに占領されると、リトアニア政府はこの街に移転して来た。そして翌1920年、ヴィリニュスがポーランドに併合されると、カウナスは臨時に首都となった(ただし憲法上はあくまでヴィリニュスが首都とされた)。
それから第二次世界大戦までの間、カウナスはリトアニア最大の都市として、工業的にも発展した。大戦が始るとリトアニアを含むバルト三国はポーランド東部と共にソ連に占領されたが、間もなくナチス・ドイツ軍が侵攻し街は破壊された。戦後はソ連の一部となり、再び工業が盛んになった。リトアニアの工業生産の四分の一を担うまでになり、1966年にはトロリーバスが開通した。
1991年、ソ連の崩壊に先立って、リトアニアが独立すると、カウナスもその一部となり現在に至っている。  (wikipedia・カウナスより)]

[「旧市庁舎」に向かって左手には、バロック様式の「イエズス教会」がある。旧ソ連時代には、子供たちの運動場として使用されていた。広場を挟んで「旧市庁舎」の向かい側には、「ハンザの商館」が並んで建っている。15世紀半ばにハンザ同盟の代表部が設けられ、商業活動の中心地として繁盛した時代の名残と言える。  (「カウナス城と旧市街: おかねの情報室」より)]

カメラ西北西方向が旧市庁舎です。また、カメラ南方向がイエズス教会で、カメラ東南東方向に「ハンザの商館」が並んで建っています。

カメラ北東方向が旧市庁舎です。

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