テオトコス大聖堂

マーカーはテオトコス大聖堂です。

テオトコス大聖堂(Cathedral of the Theotokos)
[1346年に建てられたこの大聖堂も、ヴィリニュス市内でもっとも古いキリスト教教会。1748年に火災で焼失すると、そのまま30年以上も放棄された。ようやく1785年にバロック建築で再建されるが、コジオスコの反乱時に破壊。1808年にヴィリニュス大学に売却され、ネオクラシック様式で再建される。1948年に正式に正教会となり、現在の建物は1980年の大改修によるもの。  (「前のページ – リトアニア首都ヴィリニュスで妄想」より)]

アルギルダス
[アルギルダスもしくはオルゲルト(Algirdas/Olgerd、1296年 – 1377年)は中世リトアニアの君主。アルギルダスは1345年から1377年にかけてリトアニア人とルーシ人の君主とリトアニア大公国を統治した。西方の国境を守る弟のケーストゥティスの支持の許でアルギルダスはバルト海から黒海モスクワまで50マイルにも及ぶ広大な領域を築いた。
アルギルダスは大公ゲディミナスの7人の息子の1人である。ゲディミナスは1341年に死ぬ前に領土を分割したが、最年少のヤヴーヌティスは首都ヴィリニュスを支配していて名目上は優位であった。弟のケーストゥティスの援助の許でアルギルダスは無能なヤヴーヌティスを追放して1345年に自身が大公であると宣言した。1345年から1377年までの32年に渡る統治はリトアニア大公国の発展と拡張に捧げられた。アルギルダスは公国をヨーロッパの強国且つ大国の一つにしようと努めた。
この結果に貢献したのは、アルギルダスの並外れた政治力とケーストゥティスの長きに渡る献身という2つの要素であった。巧みに領土が分割されたことは、アルギルダスが東スラヴ人の資料に、ケーストゥティスが西方の年代記に主に出ている事実からも反映されている。アルギルダスの東方政策が西方の隣人であるモスクワやポーランドと次第に敵対する競争相手になるなか、北方のドイツ騎士団や南方のジョチ・ウルスの目は等しくリトアニアに向けられていた。
アルギルダスは単に己の力で成功したのではなく、モスクワやジョチ・ウルスの拡張の中で影響や領土を得て、リトアニア大公国の国境を黒海北岸まで広げた。アルギルダスの重要な功績は1362年に南ブク川における青水の戦いでジョチ・ウルスに勝利したことである。完膚までに叩きのめされたジョチ・ウルスはより南方に移動することを余儀なくされ、後のクリミアとなる彼の地に本拠を築くのである。
ヴォィチェッツ・ヴィユキ・カヤロヴィッツ、マカリオス1世、ヴラディーミル・アントノヴィチによればアルギルダスは死の直前に修道士の誓いを立て、アレヒウス修道院下のヴィリニュスのテオトコス大聖堂に埋葬された。  (wikipedia・アルギルダスより)]

カメラ東北東方向がテオトコス大聖堂です。

テオトコス大聖堂内のカメラです。

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