ヴィリニュス大聖堂

マーカーはヴィリニュス大聖堂です。

ヴィリニュス大聖堂(Vilnius Cathedral)
[1251年、十字軍の弾圧から逃れるため、ミンダウカス王がキリスト教を受け入れて最初に建造した主教座教会です。建物は18世紀に大改築が行われ、現在見られる姿となりました。正面の屋根にある聖スタニスラウス聖ヘレン聖カジミエルの3聖人の像は、旧ソ連時代には撤去されていましたが、1996年に再設置されました。  (「ドイツ・マールブルク日記 – リトアニア(3) - ヴィリニュス旧市街の見どころ」より)]

大鐘楼
[大聖堂の前に大きな塔が建っています。かつての大公邸跡に建設された高さ53mの大鐘楼。基礎の部分に13世紀の城壁の一部が使われています。大鐘楼付近の広場は、また独立の扉を開いた「人間の鎖」の起点でもあります。1989年8月23日、旧ソ連の支配下にあったバルト3国の有志200万余人が参加して、独立運動の「人間の鎖」をつないだ場所です。リトアニアからラトビアエストニアまで650kmに及んだ結束のデモンストレーションでした。  (「バルト3国旅行記2」より)]

カメラ東方向がヴィリニュス大聖堂です。

ヴィリニュス大聖堂内のカメラです。

カジミェシュ (聖人)
[カジミェシュ・ヤギェロンチク(ポーランド語:Kazimierz Jagiellończyk;リトアニア語:Kazimieras, 1458年10月3日 – 1484年3月4日)は、ポーランドおよびリトアニアの統治者であったヤギェウォ朝出身の聖人。1552年にローマ・カトリック教会により列聖された。リトアニアおよびリトアニアの若者たちの守護聖人。リトアニア語読みはカジミェラス。
ポーランド王リトアニア大公カジミェシュ4世と王妃エリーザベトの次男として生まれた。母方の祖父はローマ王ハンガリー王ボヘミア王だったアルブレヒト2世である。
父親であるカジミェシュ4世は、長男ヴワディスワフがボヘミア王位についた後、次男カジミェシュをポーランド王位の相続人と見做し、しばしば公の場に連れ出すようになった。1479年、国王はリトアニアに向こう5年間滞在することが決まり、カジミェシュ王子がポーランドで留守を守ることになった。1481年から1483年まで、カジミェシュはポーランド国家を大変な分別と公正さを以て統治していた。父王は彼を神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の娘クニグンデと結婚させようとしたが、彼は独身でいることを望み、この縁談を断った。敬虔な信仰の発露としての極端な断食生活が彼の体を衰えさせ、彼は不治の肺臓の病、おそらく結核を病むことになった。1484年、カジミェシュはリトアニアへの旅の途中にフロドナで没した。25歳だった。彼はリトアニア大公国の首都ヴィリニュスに埋葬され、現在もヴィリニュス大聖堂の聖カジミェラス礼拝堂に彼の遺骸が安置されている。
右手が2本描かれているカジミェシュの肖像画・wikipedia-photo、「ヤン・マテイコによる肖像画」・wikipedia-photo  (wikipedia・カジミェシュ_(聖人)より)]

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