諸聖人教会

マーカーは諸聖人教会です。

諸聖人教会(All Saints Church)
[諸聖人教会は、リトアニアヴィリニュスバロック建築の教会です。諸聖人教会はカルメル会の会員のために1620年~1630年の間に建てられました。17世紀の後半に、教会はカルメル会修道院と連携し、単一の複合体を形成した。鐘楼は、手の込んだ装飾が施され高く巨大で、18世紀の火災の後、ロココ建築のドーム屋根が追加復元され、現在の形に完成しました。既存の建物を使用して構築した、カルメル会修道院は、教会の近くに位置しています。
1787年、ポーランド・リトアニア共和国の新古典主義のドイツ系の建築家Marcin Knackfusの設計で、教会の祭壇が造られた。
諸聖人教会はSzpitalna通りの最後にあり、そこはヴィリニュス・ゲットーのメイン・ゲートだった。第二次世界大戦中、ゲットーと教会を結ぶ下水道を通じたトンネルがあった。教会の司祭は、そのトンネルを通してゲットーにパンを提供した。彼はまた、トンネルを通してゲットーの外に秘密裏に一部のユダヤ人を脱出させかくまった。ゲットーに食料品を供給し、リトアニアのユダヤ人に手を差し伸べたのは、キリスト教徒のリトアニア人であったことに留意すべきである。
1967年から1975年の間教会は再構築され博物館の展示のために使用された。また、其の時期も含め旧ソ連時代には、教会は民俗芸術博物館に使用されたが、現在は教会として修復されている。
諸聖人教会・wikipedia-photo、諸聖人教会内部・wikipedia-photo]

[リトアニアはナチス・ドイツに占領される前の年にソヴィエト政権に併合されていたが、ナチス・ドイツはこうしたソヴィエト併合の原因はユダヤ人のせいであったとして彼らを非難し、リトアニア人の反ユダヤ主義を煽り立てていった。また、ナチス占領政権がユダヤ人虐殺を計画、準備、実行するにあたりリトアニア人を利用していた点も、ホロコーストを理解する上で重要な要素のひとつである。  (wikipedia・リトアニアにおけるホロコーストより)]

カメラ東南東方向が諸聖人教会です。

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