ヴロツワフ大学

マーカーはヴロツワフ大学です。

ヴロツワフ大学
[現在、ある大学本館は、1659年にイエズス会に払い下げられた土地に1702年に神聖ローマ皇帝レオポルド1世(在位:1658年 – 1705年)が建てたもので、2002年に創立300年を迎えました。1階のヴロツワフ大学博物館にあるレオポルディヌム講堂はため息をつきそうなほど豪華絢爛。さらに音楽ホール「オラトリウム・マリアヌム」に響き渡る調べは200年前から変わることなく、今もなお聴衆の心を魅了し続けています。
ヴロツワフ大学博物館(Muzeum Uniwersytetu Wrocławskiego)
入館料金:4部屋の見学 大人10PLN(ズウォティ)、割引適用料金6PLN、2部屋の見学 大人6PLN、割引料金4PLN
所在地:pl. Uniwersytecki 1
開館時間:10:00-15:30水曜日休み
ホームページ:www.muzeum.uni.wroc.pl  (「懐古的ポーランドの旅|メトロガイド」より)]

[大学の建物の中にはミュージアムがあり入場料10PLN(約300円)を払うと見学することができる。見学できる場所は展示物の部屋とバロック様式の講堂 Aula Leopoldina と音楽ホールの Oratorium Mariarum があり、その講堂や音楽ホールは現在も演奏会をはじめいろいろなイベントに使われている。
大学の建物の中央部に突き出た部分があるが、ここも展示があり見学の順路に入っている。そしてこの塔の屋上からブロツワフ市内を展望することができる。  (「町:ブロツワフ(ポーランド)」より)]

[ヴロツワフに大学が設立されたのは16世紀に溯る。16世紀にヴロツワフの市の委員会は大学を設立し ウラースロー2世(在位:1471年 – 1516年)に裁可を受けたが、クラクフヤギェウォ大学の反対により大学はすぐに閉鎖された。200年後の1702年頃神聖ローマ皇帝レオポルト1世がイエズス会の小さいアカデミーを創設し、レオポルト・アカデミーと命名した。
シレジア戦争で シレジアがプロイセンに統合されると、アカデミーはフランクフルト・アン・デア・オーダーにあったプロテスタント系のViadrina大学に吸収された。1809年にSchlesische Friedrich-Wilhelms-Universität zu Breslauという名前になっていた大学は、1811年にUniversitatis Literarum Vratislaviensisとして設立された。初めは哲学、薬学、法学、プロテスタント神学、カトリック神学の5つの学部が設けられた。
19世紀の後半に大学は急速に発展した。19世紀にはブレスラウ大学(ドイツ語: Universität Breslau)と呼ばれた。この時代国際的に有名な学者たちが講義を行い、その中にはペーター・グスタフ・ディリクレフェルディナント・コーングスタフ・キルヒホフが含まれる。
第二次世界大戦後、ソビエト連邦がヴロツワフを占領し、ヴロツワフはポーランド領となった。ドイツ人は追放され、大学の図書館の資料はドイツ軍が街を明渡した4日後、ソビエト軍によって燃やされた。
大学の建物の70%は破壊されていたが、修理が行われ、そこにソ連のウクライナ共和国領となったルヴフから名門ルヴフ大学のポーランド人教授陣が1945年5月にヴロツワフに到着し、ルヴフ大学の収蔵物をそっくりそのまま移管してポーランドの国立大学「ヴロツワフ大学」として1945年8月24日に再建された。ルドヴィック・ヒルシュフェルト(Ludwik Hirszfeld)によって最初の講義が1945年11月15日に行われた。
大学の本館・wikipedia-photo、Aula Leopoldina・wikipedia-photo  (wikipedia・ヴロツワフ大学より)]

カメラ南方向がヴロツワフ大学本館です。

レオポルディヌム講堂の360citiesです。

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