マーカーはシェーンブルン宮殿です。
シェーンブルン宮殿(英語:Schönbrunn Palace、ドイツ語:Schloss Schönbrunn)
[Google アートプロジェクト] – 「シェーンブルン宮殿」
[シェーンブルン宮殿(ドイツ語:Schloss Schönbrunn)は、オーストリアの首都ウィーンにある宮殿。ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。
シェーンブルン宮殿は、ウィーンの中心部シュテファン大聖堂から西に直線で約5kmの位置にある。市内からは地下鉄U4号線に乗りシェーンブルン駅下車。庭園は東西約1.2km、南北約1kmの規模で、1779年頃から公開されている。
建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場がある。また、広いフランス式庭園を挟んで宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテという対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為に立てたギリシャ建築の記念碑(未完成)があり、ここからは周囲が一望できる(写真はこの丘からの眺望・wikipedia-photo)。オーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人。更に公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると年間には670万人が訪れる。外壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にした、これをテレジア・イエローと云うが、彼女が好んでいた色というわけではない。
間取り図詳細へリンク(ドイツ語)
シェーンブルン宮殿敷地平面図
I – ハウプテインガン – 正面玄関、職員が到着する方法。 観光バスで到着する場合に利用します。 E – Beschereingang für Schlossbesichtigung – 帝国の部屋への訪問者の入り口。 M – マイドリンガー トール (門)、地下鉄 U4 シェーンブルン駅からアクセス可能。 T – マリア テレジア トール (地元住民のみが使用) 。H – ヒーツィンガー トール。地下鉄 U4 駅ヒーツィングからアクセスできます。動物園やヤシの家の訪問者にとっては、これが通常のアクセスです。 X – マクシントール (むしろ地元住民のみが使用。毎日オープンではない) 。Y – チロルトール (むしろ地元住民のみが使用。毎日オープンではない)。 Z – 動物園。 (1) – 「ワーゲンブルク」、冬季鉄道シューレ、クッシェン博物館 – 馬車博物館「ワーゲンブルク」。 (2) – 劇場。 (3) – 「オランジュリー」。 (4) – 「保護区庭園」 (Glashäuser、nicht öffentlich zugänglich) – (温室エリア、一般立ち入り禁止)。 (5) – 「クロンプリンツェンガルテン」 (「プライベート」または「皇太子の」庭園)。 (6) – 「大花壇」。 (7) – 「ネプトゥンブルンネン」 – 宮殿と「グロリエッテ」の間にあるネプチューンの噴水。 (8) – 「グロリエッテ」。 (9) – オベリスクブルネン – オベリスクの噴水。 (10) – エンゲルスブルンネン – 天使の井戸。 (11) – Der ‘Schöne Brunnen’ – この場所の名前の由来となった「美しい井戸」。 (12) – 「ローマ遺跡」。 (13) – ランドバッシン – ラウンドプール。 (14) – タウベンハウス – コロンバリー。 (15) – イルガルテン – 迷路。 (16) – シュテルンバッシン – スタープール。 (17) – ロザリウム – ローズ 庭園。 (18) – パルメンハウスとパルメンハウスパルテール – パルメンハウスとその「パルテール」。 (19) – 「Sonnenuhrhaus」、jetzt Wüstenhaus – 「日時計の家」、現在は砂漠体験ハウス。 (20) – 植物園とアルテス パルメンハウス – 植物園とオールド パーム ハウス。 (21) – ジャパニッシャー ガルテン、リンク neben dem Haupteingang zum Tiergarten – 日本庭園、動物園の正門の左側。 (22) – 動物園と「カイザーパビリオン」 – 「皇帝パビリオン」(現在はカフェ) を備えた現存する世界最古の動物園。 (23) – 「チロラーハウス」と「チロラーガルテン」、現在は動物園の一部。 「Tirolerhaus」レストランは動物園の外にあります。 動物園の横入口(臨時開園)。 (24) – ヴァルト、自然災害および景観に関するドイツ連邦教育訓練センター (BFW) – 森林、自然災害および景観のための連邦研究訓練センター – 旧フォルストリッヒ連邦連合 (FBVA)。 (25) – ヘーヒレ連邦レーアおよびガルテンバウ連邦政府シュタルト。 (26) – 「クライネ グロリエッテ」 – 「リトル グロリエッテ」。 (27) – 「シェーンブルンナー バート」 (公共プール)。 (28) – 「メイレイ」、現在はレストランになっています。
見学
●見学できる場所は居室1,200室のうち40室である
●4月1日 から 6月30日 8:30-17:30
●7月1日 から 8月31日 8:30-18:30
●9月1日 から 10月31日 8:30-17:30
●11月1日 から 3月31日 8:30-17:00
庭園のツアーは時間があればロング・ツアー、なければショート・ツアーを勧めている。
建物の見学料金
●インペリアル・ツアーは22室 音声ガイド付き 12.9ユーロ、子供(6-18歳)9.5ユーロ、学割(-25歳)11.9ユーロ
●グランド・ツアーは40室 音声ガイド付き 15.9ユーロ、子供(6-18歳)10.5ユーロ、学割(-25歳)14.6ユーロ
尚、音声ガイドはトランシーバー型の端末で日本語でのガイダンスも聞ける。
●クラシック・パス は40室に加え、庭園の施設に入ることができる 18.5ユーロ
他にも、ゴールド・パスやシシィ・パス、ファミリー・パス、シングル・パスなど種類がある。
賃貸住宅になった宮殿
シェーンブルン宮殿は観光客に公開されている2階部分を除いた居室が、文化財管理公社によって賃貸住宅として一般に貸し出されており、住民がいる。これは1960年代にウィーンの住宅問題を解決するために考え出されたものである。居住者は建物の性質を変えない程度のリフォームは許されている。現在では居住に不便な部分も多数あるといわれ、ウイーン市民にとっての住宅物件としての人気は低い。官舎であるため、公務員であることが入居の条件であったが、1992年にその制限は撤廃された。2LDKで120m2、家賃は日本円で約4万円。
ホテル
2014年よりオーストリアのホテルグループが宮殿の一部を改装し、宿泊可能な施設とした。 (wikipedia・シェーンブルン宮殿より)]
「ララチッタ ウィーン・プラハ(2016年版) – 24 ページ – Google ブック」
「中央ヨーロッパ旅行記⑭(オーストリア シェーンブルン宮殿②) : 山武の世界史」
「シェーンブルン宮殿 – Google Map 画像リンク」
カメラ南南西方向がシェーンブルン宮殿のストリートビューです。
平面図右翼 – シェーンブルン宮殿一階フロアのストリートビューで、フランツ・ヨーゼフ[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)]の執務室です。
[フランツ・ヨーゼフはすでに18才で、オーストリア皇帝に即位しました。彼は毎日、膨大な量の仕事をしました。すでに朝の5時から仕事机に向かい、そこで1日を過ごしたのです。右側に、その机が置かれています。ここで皇帝は書類に目を通し、朝食と昼食も、ここに運ばせました。自らを「国家の筆頭官吏」と呼んだ皇帝は、日常生活のほとんどを、この机に向かって過ごしたのです。質実剛健な皇帝は、プライベートな部屋に豪華な内装を望みませんでした。彼は、幾つかのプライベートな絵画、家族の写真、子供や孫たちからのプレゼントを部屋に飾っただけでした。2つの大きな肖像画のひとつは、33才のフランツ・ヨーゼフです。もうひとつはエリーザベト皇后です。シシィの愛称で知られる彼女は、伝説的な存在となっています。]
平面図右翼 マリーアントワネットの部屋 – シェーンブルン宮殿一階フロアのストリートビューで、マリア・テレジアのサロンです。
[このサロンはエリーザベトのレセプション第室で、黄金と白の化粧板に明るい絹張りで内装されています。これは、豪華なネオロココの家具とも良く調和しています。鏡の前に置かれた時計は、文字盤が逆になっており、このため鏡に映った時計からも時刻が読み取れるようになっています。パステルによる肖像画は18世紀に制作された貴重なもので、マリア・テレジアの子供たちを示しています。これらは、マリア・テレジアのお気に入りだったジュネーブの画家リオタールなど、著名な画家の作品です。ストーブの左側にある肖像画は、マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットで、狩りのコスチュームを着けています。1770年、まだ15才の彼女は、後のフランス王ルイ16世のもとへ嫁ぎました。これは、フランス王家とハプスブルク家を結び付けるための政略結婚だったのです。その後、彼女は1793年、フランス革命のさなかで、断頭台の露と消えました。]
平面図中央 素晴らしいギャラリー – シェーンブルン宮殿一階フロアのストリートビューで、大ギャラリーのカメラです。
[大ギャラリーは宮殿の大広間です。ここでは皇帝の主催する舞踏会、レセプション、公式のディナーなどが催されました。 長さ40メートル、幅約10メートルの大ギャラリーは、宮廷の様々な催しに理想的な会場となりました。クリスタル製の大鏡、金箔を施した漆喰装飾、天井のフレスコ画などは、ロココ時代の綜合芸術を示しています。フレスコ画は、イタリアの画家グレゴリオ・グリエルミが制作したもので、マリア・テレジア時代の王朝の繁栄を称えたものです。中央の画面では、フランツ・シュテファンとマリア・テレジアが玉座に就き、権力者の美徳を象徴する人物像と、王朝各地を示すアレゴリーで囲まれています。2つの大きなシャンデリアは木製で金箔を施し、1901年に宮殿が電化されるまで、それぞれ70本のロウソクが灯されていました。王朝終焉以来、大ギャラリーはコンサート会場となっています。1961年には、ここで、ケネディー大統領とフルシチョフ首相の歴史的な会談が行われました。]
平面図左翼 ブルーチャイニーズサロン – シェーンブルン宮殿一階フロアのストリートビューで、青い中国のサロンのカメラです。
[青い中国のサロンが現在の内装になったのは19世紀初頭のことです。このとき、18世紀に中国で生産されたライスペーパーが用いられました。この部屋は、歴史的に極めて重要なものです。ここでは1918年11月11日、王朝最後の皇帝カール1世の統治権放棄に関する交渉が行われました。その翌日、オーストリア共和国樹立が宣言され、600年以上に及ぶハプスブルク王朝の歴史に終止符が打たれました。カールは退位することを望まず、家族とともに国外追放となりました。その後マデイラ島に住んだカールは1922年、僅か35才で世を去りました。他方、彼の妻ツィタは1989年に世を去り、その棺は、王朝最後の皇后として皇帝墓所に安置されています。]
平面図左翼 タペストリーサロン – ゴブランの間のカメラです。
[この部屋の壁面や椅子に用いられているのは、18世紀にブリュッセルで生産されたゴブラン織りです。壁面には市場や港の風景が描かれ、椅子の布地には、12の月と黄道十二宮が表現されています。次の部屋(第34室)はソフィー大公妃の書斎でした。これは、19世紀にフランツ・ヨーゼフの両親であるフランツ・カール大公とソフィー大公妃が使用していた一連の部屋のひとつです。野心的なソフィー大公妃は、フランツ・ヨーゼフを皇帝とするため、エネルギッシュに政治活動を行ったばかりでなく、皇帝となった息子にとって最も重要な助言者でした。このため彼女は「ウィーンの宮廷で唯一の殿様」と呼ばれました。大公妃にとって嫁であり姪にもあたるエリーザベト皇后との関係は、常に緊迫したものでした。これは、シシィがウィーンの宮廷に馴染めなかった大きな要因のひとつです。エリーザベトは、姑によって常に監視されていることを嘆いていました。]
平面図左翼 リッチルーム – 天蓋ベットの寝室(豪奢の間)のカメラです。
[豪奢の間という名称は、ここに置かれた豪華なベッドによるものです。これは、ウィーンの宮廷で用いられた豪華なベッドのうち現存する唯一のものです。これは、マリア・テレジアの婚礼に際して制作され、本来はホーフブルク王宮にある女帝のプライベートルームに置かれていました。ベッドは、赤いビロードに高価な金糸・銀糸で縫い取りを施したものです。壁面に用いられた布の一部も、ベッドとセットになっていたもので、建築的要素が刺繍されています。]