マーカーはノイエ・ピナコテークです。
※誠に勝手ながらノイエ・ピナコテークの絵画ギャラリーの一般展示公開は、2018年12月31日より大規模改修工事とその準備のため、閉鎖いたします。それにより2019年夏から19世紀アートの名品セレクションは、東側に隣接するアルテ・ピナコテークやシャック・コレクションでご覧いただけるようになります。再開は2025年の予定です。 (「アルテ・ピナコテーク」より)]
ノイエ・ピナコテーク(英語:Neue Pinakothek、ドイツ語:Neue Pinakothek)
[ノイエ・ピナコテークは、ドイツのミュンヘンにある美術館である。同じミュンヘンにあるアルテ・ピナコテーク(古絵画館)に対し、ノイエ・ピナコテークは文字どおり「新絵画館」である。アルテ・ピナコテーク開館から十数年後の1853年、その当時の現代絵画を収蔵するため、ルートヴィヒ1世_(バイエルン王)によって設立された。
18世紀半ばから20世紀の作品約5千点を収集しており、特にドイツ・ロマン派やナザレ派などのドイツ近代絵画、さらにクロード・モネ、ポール・セザンヌ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ポール・ゴーギャンなど印象派の作品が充実している。
主な収蔵品
●フィンセント・ファン・ゴッホ『ひまわり』(1888年8月・12本、3番目の作品とされる。)(wikipedia-photo)
●アルノルト・ベックリン『波間のたわむれ』(1883年)(wikipedia-photo)
●フェルナン・クノップフ『私は私自身に扉を閉ざす』(1891年)(wikipedia-photo)
●グスタフ・クリムト『マルガレーテ・ストンボロー=ウィトゲンシュタインの肖像』(1905年)(wikipedia-photo)
●フランツ・フォン・シュトゥック『罪』(1893年)(wikipedia-photo)
「ノイエ・ピナコテーク」・wikipedia-photo (wikipedia・ノイエ・ピナコテークより)]
「ノイエ・ピナコテーク – Google Map 画像リンク」
カメラ北方向がノイエ・ピナコテークです。
ノイエ・ピナコテーク展示室のカメラです。
「カテゴリ:ノイエピナコテークのヴィンセントヴァンゴッホの絵画」
カメラ西北西方向・フィンセント・ファン・ゴッホの作品『ひまわり』(1888年)を中央に、左『オーヴェル近くの平野』(1890年7月)(wikipedia-photo)、右に『アルルの見える花咲く果樹園』(1889年4月)(wikipedia-photo)、また、カメラ東方向にポール・ゴーギャン作『テ・タマリ・ノ・アトゥア(神の子)』(1896年)(wikipedia-photo)があります。
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[ファン・ゴッホは、パリ時代に油彩5点、素描を含め9点のひまわりの絵を描いているが、最も有名なのはアルル時代の『ひまわり』である。1888年、ファン・ゴッホはアルルでゴーギャンの到着を待つ間12点のひまわりでアトリエを飾る計画を立て、これに着手したが、実際にはアルル時代に制作した『ひまわり』は7点に終わった。ゴーギャンとの大切な共同生活の場を飾る作品だけに、ファン・ゴッホがひまわりに対し強い愛着を持っていたことが窺える。
西欧では、16世紀-17世紀から、ひまわりは「その花が太陽に顔を向け続けるように、信心深い人はキリスト(又は神)に関心を向け続ける」、あるいは「愛する者は愛の対象に顔を向け続ける」という象徴的意味が広まっており、ファン・ゴッホもこうした象徴的意味を意識していたものと考えられている。
後に、ファン・ゴッホは『ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女』を中央に置き、両側にひまわりの絵を置いて、祭壇画のような三連画にする案を書簡で弟テオに伝えている。 (wikipedia・フィンセント・ファン・ゴッホ#ひまわりより)]
ファン・ゴッホ作『アルルの見える花咲く果樹園』(1889年4月)(wikipedia-photo)
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ファン・ゴッホ作『雨雲のあるオーヴェル平野』(1890年)(commons.wikimedia)
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