三田用水(山下口分水跡)

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マーカーは三田用水(山下口分水跡)です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

三田用水(山下口分水跡)
「今昔マップ」の1927~1939年の地図を見ると和田堀水道(井ノ頭通り)の下で分水路が描かれています。この分水路が山下口分水と思われます。

[取水口より程近い距離のところに井ノ頭通りがあり、その向こう側に世田谷区立北沢小学校があります。都道420号鮫洲大山線と井ノ頭通りとの大山交差点の西側になるこの地点に、最初の分水口である『山下口』がありました。
『山下口』からの分水は、北沢小学校の西を抜け、区立北沢中学校の方向から流れてくる森厳寺川(東側ルート)に合流していた模様です。  (「三田用水:三田用水 -筆舌に尽くし難いもの- – 水の行方を追って」より)]

[1912年(大正元年)9月に、東京市の水道拡張事業(後に一次水道拡張事業と呼ばれる)が認可され、翌大正2年から事業が着工。1924年(大正13年)3月30日に、羽村村山線導水路、村山上貯水池、村山下貯水池堰堤の下半分(ともに現・村山貯水池、多摩湖)、境浄水場、境和田堀線送水管および導水路の一部とともに、和田堀浄水池として完成した。このとき境浄水場とつなぐ直線の導水路を、後に補強し車両の通行ができるようにしたものが現在の井ノ頭通りである。  (wikipedia・和田堀給水所より)]

カメラ位置は旧北沢小学校(現北沢中学校第2校舎)北西端で、カメラ南方向が分水路跡と思われる小路です。

カメラ位置は旧北沢小学校(現北沢中学校第2校舎)南西端で、カメラ北北東方向が分水路跡と思われる小路です。

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