三田用水(神山口分水跡)

マーカーは三田用水(神山口分水跡)です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

三田用水(神山口分水跡)
[松濤公園(江戸時代には紀州藩下屋敷、明治になって旧佐賀藩主の鍋島家)の池の北西側からはかつて三田用水神山口分水が流入していました。三田用水には、17の分水口があり、これらの分水には、明治時代には精米・製粉や動力用の水車が数多く設けられました。神山口分水も、短いながら2ヶ所に水車がありました。ひとつは分水してすぐの松濤2-4近辺にあった永井水車、もうひとつは松濤公園の南東、渋谷消防署松濤派出所の裏手にあった有馬水車です。
 有馬水車は、動力を得るための落差を作るため、分水が松濤公園の池に流入する手前で東側の台地斜面に流路を分け、松濤派出所付近で滝状に落下させて水車を回していました。
 神山口分水は、明治期、松濤園の茶を育てるために分水の水量を増やしており、この二つの水車、そして宇田川本流の大向橋付近に設けられていた伊勢万水車を安定稼働させることが可能となっていたようです。ただ、これらの水車は周囲の都市化や水害による破損に伴い、明治末期には稼働を停止していたようです。  (「東京の水 2005 Revisited 2015 Remaster Edition: 【2-10】宇田川松濤 …」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [4]拾六中]」(コマ番号5/5・地図左中央に紀伊殿下屋敷と描かれています。その下に三田用水が描かれ、紀伊殿下屋敷左下から分水路が描かれています。また、紀伊殿下屋敷右方向に鍋島松濤公園の湧水池となる神泉谷が描かれています。)

カメラ南西方向のコンクリート構造物は三田用水跡で、暗渠の側面に柵付きの小さな穴が開いています。そして、下流側(左側)の暗渠上面には取っ手付きの点検口が設けられています。この蓋の下には堰が設けられているそうです。どうやらこの堰で水位を保ち、穴から神山口分水に水を分けていたようです。  (「東京の水 2005 Revisited 2015 Remaster Edition: 【2-10】宇田川松濤 …」より)