玉川上水(三田上水分水口)

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玉川上水(三田上水分水口)
[三田用水は、南西側の目黒川と東北側の渋谷川の間、南東に延びる白金台地の上を流れている。その始まりは、1658- 61(万治年間)熊本藩細川越中守が下北沢村(現・世田谷区)の玉川上水から自分の屋敷に引いた細川用水と、そ
のやや上流から取水した三田上水になる 。三田上水は、1664(寛文4)年11月中村八郎右衛門・磯野助六によって開削された。この2人は用水使用者から水銀 ・水銭を徴収し、修理費用などに充てた。さらに、1698(元禄11)年には麻布(白金)御殿へ分水されたが、1702(元禄15)年2月類焼したことから、この分水は廃止になる。細川用水と三田上水は、途中で立体交差しながら併行して流れていた。その後、1722(享保7)年10月室鳩巣の建議によって三田上水が廃止された。しかし、灌漑用水として利用していた村々からは、給水の継続願いが代官伊奈半左衛門に提出され、1724(享保9)年許可された。これを受けて1725(享保10)年5月、細川用水と三田上水を一筋にした三田用水が落成した。この用水を利用した村は谷山村、北品川宿、上大崎村・下大崎村(以上、現・品川区)、上目黒村、目黒村上知組、中目黒村、下目黒村、三田村(以上現・目黒区)、代田村(現・世田谷区)、白金村、今里村(以上、現・港区)、中渋谷村、下渋谷村(以上、現・渋谷区)の14ケ村になる。また、1797(寛政9)年11月の記録1によると、三田用水には、次の17の分水口があった。つまり、上流から山下口(代田村)、渋ケ谷口(代田村2)、神山口(中渋谷村)、駒場口(上・中・下目黒村)、中川口 (上・中目黒村)、鉢山口(中・下渋谷村)、猿楽塚口(下渋谷村)、坂口(上目黒村)、道城池口(下渋谷村)、別所上口(上・中・下目黒村)、定相寺山口(中目黒村)、銭瓶窪口(三田村・白金村・今里村)、銭瓶窪口(上・下目黒村)、鳥久保口(上大崎村、谷山村)、妙円寺脇口(上大崎村)、久留島上口(今里村)、久留島上口(上・下大崎村、北品川宿)であった。  (「公益財団法人とうきゅう環境財団 – Ⅱ.三田用水を利用した製造所(P73~ )」より)]