上野大仏(大仏山パゴダ)

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上野大仏(大仏山パゴダ)
[寛永8年(1631年)、堀直寄の寄進で最初の大仏が造られた。以後、地震、火災等で消滅と再興を繰り返し、現在は顔の部分のみが大仏山パゴダ脇に保存されている。
大仏山パゴダ – 時の鐘の近くにあり、昭和42年(1967年)の建立。もと上野東照宮本地堂(神仏分離の際に破壊)の本尊であった薬師三尊像(江戸時代初期)を祀る。
上野大仏(大仏山パゴダ)・wikipedia-photo

上野大仏残された顔の部分・wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、上野大仏の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・寛永寺より)]

[上野大仏(うえのだいぶつ)は、現在の東京都台東区上野恩賜公園内にあった大仏。像高約6メートルの釈迦如来坐像だった。度重なる罹災により損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存される。所在地は上野精養軒に隣接の大仏山という丘の上。薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所が併設される。
沿革
●寛永8年(1631年) – 越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立。
正保4年(1647年) – 地震により倒壊。
万治年間(1658年 – 1661年) – 遊行僧浄雲が金銅像として再興。再興は明暦年間(1655年 – 1658年)説がある。
元禄11年(1698年) – 公弁が露座であった大仏に仏殿覆堂)を建立。
天保12年(1841年) – 火災により大仏、仏殿が損傷する。
●天保14年(1843年) – 堀直央の寄進により大仏を新鋳再建、仏殿を修復。
安政2年(1855年) – 安政大地震により、頭部が破損。再び堀直央の寄進により修復。
明治8年(1875年) – 上野恩賜公園の整備に際し仏殿を撤去。露座に戻る。
大正12年(1923年) – 関東大震災により頭部が落下。大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管するが、資金の目処が立たず再建計画は放棄される。
昭和15年(1940年) – 軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下が供出され、消滅する。
●昭和42年(1967年) – 関東大震災の50回忌にあたり、上野観光連盟が願主となり大仏再建を願う祈願塔を建立。
●昭和47年(1972年) – 寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置。
往年の上野大仏・wikipedia-photo、かつて存在した上野大仏殿・wikipedia-photo、顔面のみとなった上野大仏・wikipedia-photo  (wikipedia・上野大仏より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図

パゴダ薬師堂 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が上野大仏の顔面で、カメラ南東方向が大仏山パゴダです。

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