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下谷(和泉橋通)三枚橋
[上野町2丁目([現]台東区上野4丁目・同6丁目)には、3つの横町がある。東側南寄りの摩利支天横町は徳大寺前の通りで、同町の北側徳大寺には摩利支天堂がある。東側北寄りには三枚橋横町があり、東に進むと下谷三枚橋に出る。西側の六阿弥陀横町は広小路への出口であった。北端下谷町1丁目との境に不忍池から流出する忍川が、東方下谷御徒町の方に向かっている。川幅は1丈余、幅1丈1尺・長さ1丈2尺の寛橋(ゆるやはし)という石橋が架かっている(現在のアメ横センタービル前付近)。また三枚橋横町の外れにも幅1丈5寸・長さ1丈2尺の石橋があり、下谷三枚橋(代官橋)という。寛橋は下谷町1丁目・上野仁王門前町・常楽院門前・上野町の四町が管理し、下谷三枚橋は江戸幕府の管理。なお仲御徒町通の板橋や和泉橋通の石橋も下谷三枚橋と称しているので紛らわしい(文政町方書上)。 (「上野町二丁目 – 仲介手数料最大無料の東京賃貸事情」より)]
[長谷川雪旦は、江戸出身。唐津藩士の子。住居は下谷三枚橋(現在の台東区)。 (wikipedia・長谷川雪旦より)]
[長谷川雪堤
◯『書画薈粋』二篇〔人名録〕④541(畑銀雞編・安政六年三月刊)
〝画家【名雪堤、字宗一、号松斎、下谷和泉橋通三枚橋、長谷川雪堤】
江戸ノ人、雪旦翁ノ男ナリ、幼キトキヨリ画才人ニ秀デ、或長ズルニ随ヒ能ク翁ノ画法ヲエトクシ、是
ヲ画クニ気韻アフルヽガ如ク、衆人ミナ奇ト称シテ感歎スル〟 (「長谷川雪堤 – Ne」より)]
「国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書」 – 「十四之二 [3] – 2/3、3/3」(この稿で下谷三枚橋としている和泉橋通りに一枚橋と描かれ、下谷仲御徒町通りに架かる橋を三枚橋としている。また町屋との境に架かる橋を代官橋と描かれています。)、「十四[206] – 137~140/266」
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図」[絵図中央・加藤於菟三郎の左上方向に描かれている三枚橋が下谷(和泉橋通)三枚橋です。]
カメラ位置付近に「三枚橋」(下谷和泉橋通三枚橋)が架かっていた。
「江戸名所図会」の挿絵画家である、長谷川雪旦・雪堤親子は下谷和泉橋通三枚橋付近に住居があった。また、江戸時代最後の漢詩人と言われる「大沼枕山」もこの付近の生まれである。 (「大沼枕山墓 台東区ホームページ – 台東区役所」より)。