下谷三枚橋(代官橋)跡

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マーカーはカメラ位置です。

上野町2丁目([現]台東区上野4丁目・同6丁目)
[上野町1丁目の北に続く町で、東側は御徒組屋敷(仲御徒町3~4丁目)、西は上野北大門町・常楽院門前、北は下谷町1丁目・本光寺。下谷広小路(上野広小路)の東裏、南北に通る道を挟んで4ヵ所にあり、沿革図書には延宝年間(1673~81)以降「上野2丁目年貢町屋」と記載されている。町の規模は東側は間口88間余で裏幅もおよそ同じ、奥行は南方32間余・北方29間余。西側は間口50間3尺・裏幅53間余、奥行は南方17間・北方20間(御府内備考)。文政9年(1826)の家数237、地主は16人いるが町内に住んでいない。町役等すべて1丁目と共同で勤め、町奉行代官の両方の支配を受け、年貢は代官所に納入した。3つの横町がある。東側南寄りの摩利支天横町は徳大寺前の通りで、同町の北側徳大寺には摩利支天堂がある。東側北寄りには三枚橋横町があり、東に進むと下谷三枚橋に出る。西側の六阿弥陀横町は広小路への出口であった。町内にあった日蓮宗真養寺は元禄年間(1688~1704)に下谷通新町(現荒川区)に移転、その跡地180坪は町屋敷になっている。北端下谷町1丁目との境に不忍池から流出する忍川が、東方下谷御徒町の方に向かっている。川幅は1丈余、幅1丈1尺・長さ1丈2尺の寛橋(ゆるやはし)という石橋が架かっている(現在のアメ横センタービル前付近)。また三枚橋横町の外れにも幅1丈5寸・長さ1丈2尺の石橋があり、下谷三枚橋(代官橋)という。寛橋は下谷町1丁目・上野仁王門前町・常楽院門前・上野町の四町が管理し、下谷三枚橋は江戸幕府の管理。なお仲御徒町通の板橋や和泉橋通の石橋も下谷三枚橋と称しているので紛らわしい(文政町方書上)。  (「上野町二丁目 – 仲介手数料最大無料の東京賃貸事情」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図」[絵図左中央・下谷広小路の三橋(忍川)下流のクランクの左に「三マイバシヨコ丁」と記述されている、その記述右の橋が下谷三枚橋(代官橋)です。]

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書」 – 「十四之二 [3] – 2/3、3/3」(このサイトで下谷三枚橋としている和泉橋通りに一枚橋と描かれ、下谷仲御徒町通りに架かる橋を三枚橋としている。また町屋との境に架かる橋を代官橋と描かれています。)、「十四[206] – 137~140/266

カメラ位置は上野4丁目山手線ガード前で、カメラ位置東方向に忍川が流れ、ガード下付近に下谷三枚橋(代官橋)があった。また、カメラ位置付近が三枚橋横町の東端になり、三枚橋横町で幸田露伴が生まれています。

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