亀住稲荷神社

マーカーは亀住稲荷神社です。

関連リンク – 「小倉藩小笠原家上屋敷跡」、「小倉藩小笠原家下屋敷跡(小笠原伯爵邸)

亀住稲荷神社
[亀住稲荷神社は、豊前小倉藩小笠原家中屋敷内に鎮祀、明治維新後小笠原氏の退転に伴い、亀住町の町人が護持、明治8年に町内共有神社の許可を受けたといいます。
●東京都神社名鑑による亀住稲荷神社の由緒
創立の原由不詳。明治八年五月町内共有神社の許可を受けた。明治三十一年一月三日火災にかかり再建。大正十二年九月三日大震災にあって炎上。昭和七年十一月社殿を再建し、同年十一月十一日遷座。(東京都神社名鑑より)
●「千代田の稲荷」による亀住稲荷神社の由緒
亀住稲荷神社は、もともとは豊前小倉藩小笠原家(明治初年まで小笠原長幹の中屋敷)邸内に祀られていた屋敷神である。維新後、小笠原氏が転居することになったため、当時の亀住町住人たちが町の守護神として祀った。「神田神社明細」(明治一三 東京都公文書館蔵)によれば、「大年神」と「宇迦御魂命」を祭神とし、小笠原家では「鬼門除稲荷」と称されていた。明治八年(一八七五)に「町内共有神社」となり、当時は四月の午の日に大祭が行われていたことが記されている。明治三一年に火災があり焼失、同三三年に再建。関東大震災で焼失したが後に再建された。
現在は宗教法人化して、町会が維持管理にあたっている。外神田五丁目亀住町会地域は下谷神社(台東区)の氏子となるため、祭祀は下谷神社の神職によって行われ、毎月一日には月次祭を実施する。また下谷神社の祭礼(五月一一日に近い土日)に合わせて、当社も祭礼を行なう。また神田八軒町にあった稲荷も合祀してあると伝えられるが詳細は不明。(「千代田の稲荷」より)
●東京名所図会による亀住稲荷神社の由緒
亀住稲荷社
亀住稲荷社は。亀住町十番地に在り。もと小笠原家邸内に鎮祀し在りしものなり。現今の祠は。三十一年の火災後の新築に係り素木作りにて。従三位子爵加藤泰秋謹書と署名せし扁額を掲く社前東の方に老槐禿木の神樹あり。祭儀は下谷神社にて之を兼掌すといへり。(東京名所図会より)  (「亀住稲荷神社|千代田区外神田の神社 – 猫の足あと」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図左上方向に小笠原左京大夫中屋敷が描かれています。)

亀住稲荷神社 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が亀住稲荷神社です。

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