凌雲院跡(国立西洋美術館)

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マーカーは凌雲院跡(国立西洋美術館)です。

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上野駅東西自由通路建設地点の遺跡(うえのえきとうざいじゆうつうろけんせつちてんのいせき)
[東京都上野公園内は上野忍岡遺跡郡として縄文時代近世の遺跡が広がり、江戸時代には寛永寺境内地であった。本遺跡は上野台地の東南に縁辺に位置し、北東に東京文化会館構内・国立西洋美術館構内の遺跡が分布している。当地は均整には寛永11年(1634)から寛永寺子院の上照院が存在していたが、1678年に凌雲院が移転してきた。凌雲院の境内は当地から東京文化会館と国立西洋美術館まで続き、18世紀中頃以降は徳川三卿(田安一橋清水家)の墓所となっていた。国立西洋美術館構内の発掘調査では清水家の墓が発見され、東京文化会館においても墓が発見されている。  (「上野公園・上野駅東西自由通路建設地点の遺跡」より)]

国立西洋美術館

Google アートプロジェクト」 – 「国立西洋美術館」(ヘッダー画像右下のペグマンをクリックするとストリートビューが表示されます。)

[国立西洋美術館は印象派など19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションを基として、1959年(昭和34年)に設立された。実業家松方幸次郎は20世紀初めにフランスで多くの美術品を収集したが、コレクションは第2次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられていた。松方コレクションが日本に返還される際の条件として、国立西洋美術館が建設されることになった。
本館の設計はル・コルビュジエによるが、彼の弟子である前川國男坂倉準三吉阪隆正が実施設計・監理に協力し上野公園内、寛永寺の子院の凌雲院跡地に完成した。なお新館は前川國男(前川國男建築設計事務所)が設計した。
本館は、1998年(平成10年)に旧建設省による公共建築百選に選定。2003年にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定され、2007年(平成19年)には「国立西洋美術館本館」として国の重要文化財に指定された。また、前庭・園地は、2009年(平成21年)に「国立西洋美術館園地」として国の登録記念物(名勝地関係)に登録されている。
現在は松方コレクションに加えてルネサンス期より20世紀初頭までの西洋絵画・彫刻作品の購入を進め、常設展示している。なかでも西洋のオールド・マスター(18世紀以前の画家)たちの作品を見ることができる美術館として、日本有数の存在である。「西美(せいび)」の略称で呼ばれることもある。
国立西洋美術館・wikipedia-photo、本館 手前はロダン考える人』・wikipedia-photo、ロダン 『カレーの市民』・wikipedia-photo、ロダン『地獄の門』・wikipedia-photo、「トップライトが設けられた『19世紀ホール』。吹き抜けをスロープを巡って上る構成になっている。」・wikipedia-photoモネ睡蓮』1916年・wikipedia-photo  (wikipedia・国立西洋美術館より)]

国立西洋美術館 – 日本の世界遺産

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図」(絵図中央右方向・本覚院と御霊屋の間に凌雲院が描かれています。)

国立西洋美術館 – Google Map 画像リンク」、「弓をひくヘラクレス – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が国立西洋美術館です。

ロダン作「地獄の門」前のカメラです。

国立西洋美術館前庭・ロダン作「カレーの市民」前のカメラです。カレーの市民の左奥にロダン作「考える人」があります。

国立西洋美術館玄関ホールのストリートビューです。

クロード・モネ作「睡蓮」前のカメラです。

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