国立科学博物館(「四軒寺ト云」跡)

マーカーは国立科学博物館日本館です。

旧寛永寺関連へリンク
寛永寺・本堂(根本中堂)寛永寺(常憲院霊廟勅額門)寛永寺(厳有院霊廟勅額門)寛永寺・旧伽藍跡(本坊・根本中堂)寒松院本覚院東叡山坂本口輪王寺(両大師堂)寒松院跡(藤堂家の墓所)旧寛永寺五重塔東京都美術館(寛永寺敷地跡)凌雲院跡(国立西洋美術館)東照宮上野大仏(大仏山パゴダ)旧上野寛永寺・時の鐘寛永寺子院11ヶ寺跡(上野駅)天海大僧正毛髪塔(旧本覚院跡)寛永寺(清水観音堂)不忍天神寛永寺・黒門跡

国立科学博物館

Google アートプロジェクト」 – 「国立科学博物館」(ヘッダー画像右下のペグマンをクリックするとストリートビューが表示されます。)

[当館は1872年、湯島聖堂内に博物館を設立したことに起源をもつ。創立は1877年に教育博物館が設置されたときとしている。その後、東京高等師範学校の附属となり、博物館としては活動が停滞していた時期もある。大正時代に科学博物館設立の機運が高まったことを受けて、1930年上野公園内に新館(現在、日本館と呼ばれている建物)が建てられ、その翌年には東京科学博物館と改称され、東京市の施設となった。1949年には国に移管され、現在の国立科学博物館となる。
●1877年1月 – 上野山内、西四軒寺跡(現東京芸術大学の位置)に新館が一部竣工、「教育博物館」と改称(この年をもって創立としている)
―このときの書籍閲覧所書籍庫(1880年竣工、設計林忠恕)が現在、東京芸術大学赤レンガ1号館として残存し、使用されている。
―2004年に本館(現日本館)が改装される前までは「教育博物館」の標柱が本館脇の中庭に現存していた。
●1881年 – 「東京教育博物館」と改称
●1889年6月 – 土地・建物を東京美術学校(東京芸術大学の前身)に明け渡し、博物標本などを帝国博物館(東京国立博物館の前身)に移し閉館
●1928年4月 – 上野新館(現日本館)起工(当初の起工予定は1926年であったが、予算の都合で起工が大幅に遅れた)
●1930年12月 – 上野新館(現日本館)竣工
●1931年2月 – 「東京科学博物館」と改称
●1931年11月2日 – 上野新館(現日本館)行幸啓による開館披露。以降11月2日が開館記念日となる。一般公開は11月7日から開始
●2004年11月2日 – 新館(現地球館)グランドオープン、併せて本館(現日本館)の改修工事始まる
●2007年4月 – 日本館改修工事完了、公開開始。
●2014年9月1日 – 地球館北側展示場(B2F除く) 改修工事着工のため閉鎖
●2015年7月14日 – 地球館北側展示場の改修工事が終了、リニューアルオープン
旧教育博物館書籍閲覧所書籍庫(現東京芸術大学赤レンガ1号館)東京都内に現存する最古の煉瓦建築・wikipedia-photo、日本館・wikipedia-photo、日本館・wikipedia-photo、地球館・wikipedia-photo  (wikipedia・国立科学博物館より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図」[絵図右上・御本坊上方向の西四軒寺(覚成院・等覚院・涼泉院・東国院)の場所に「教育博物館」として開設し、その後この場所は東京美術学校(東京芸術大学)となり、東京芸術大学音楽学部キャンパス(東京音楽学校敷地のうち、東京芸術大学美術学部に接する部分半分強は東京美術学校の敷地であり、戦後音楽学部の敷地となった。)に東京芸術大学赤レンガ1号館として残存する。現在の国立科学博物館の位置は御本坊の左方向・屏風坂左「四軒寺ト云」(東四軒寺)と記述されている見明院・真如院・青竜院・福聚院と御霊屋の右敷地にある。ちなみに、1887年東京音楽学校設立時の校地は音楽取調掛の所在地であった上野公園東四軒寺跡地であった。]

国立科学博物館 – Google Map 画像リンク」、「蒸気機関車D51231 – Google Map 画像リンク」、「大型鋳造地球儀(上野恩賜公園) – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が国立科学博物館入場口です。

国立科学博物館日本館一階ホールのストリートビューです。