宝丹本舗 守田治兵衛商店

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マーカーは宝丹本舗です。

宝丹本舗 守田治兵衛商店
[『宝丹(寶丹)』の製造元である株式会社守田治兵衛商店の創業者・初代 守田治兵衛は、摂津国(現大阪府)より、延宝8年(1680年)に江戸へ出て、薬舗を開き「貞松堂」と号しました。爾来、血統連綿として13代目の現社長 守田敬太郎に至り、江戸最古の薬舗として平成の現代へと引き継がれています。
寶丹の創薬は9代目の治兵衛が、文久2年(1862年)オランダ人医学者A・F・ボードウィン博士の処方からヒントを得ました。さらに、いろいろな症状の疾病に用いて薬効につき研究し、改良を重ね、発売にふみきったと伝えられています。その当時、諸種の悪疫が流行し、特に虎列刺(コレラ)の治療薬というより予防薬として重宝されたようです。明治3年、新政府による売薬取締規制の公布時、寶丹は9代目の治兵衛が早速申請し、官許第1号公認薬として許可されました。  (「家庭薬ロングセラー物語|守田寶丹」より)]

アントニウス・ボードウィン
[アントニウス・ボードウィンはオランダ出身の軍医で特に眼科に優れており、日本に初めて検眼鏡を導入した。なお、アントニウスが日本に持ってきた健胃剤の処方が日本人に伝播され、独自の改良を経たものとして太田胃散と守田宝丹がある。いずれもその後品質改良や薬価改定などによって形状・成分の変更などが行なわれたが現在に至るまで市販されている。  (wikipedia・アントニウス・ボードウィンより)]

[「宝丹」は9代目の治兵衛が1860年台にオランダの医師アントニウス・ボードウィンより薬法を教授されて創製し売り出したもので爆発的に売れた。西南戦争(1877年)では警視庁に軍旅必携薬として納入した。 森鴎外の『雁』や坪内逍遥の『当世書生気質』にも登場する。  (「漱石ゆかりの地:上野[漱石 Now and Then]」より)]

カメラ北北西方向が宝丹本舗 守田治兵衛商店です。

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