寛永寺子院11ヶ寺跡(上野駅)

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マーカーは上野駅です。

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寛永寺子院11ヶ寺跡(上野駅)
[江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域30万5千余坪、寺領11,790石を有し、子院は36か院に及んだ(現存するのは19か院)。現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内である。最盛期には、今の上野公園の2倍の面積の寺地を有していたというから、その規模の大きさが想像できる。たとえば、現在の東京国立博物館の敷地は寛永寺本坊跡であり、博物館南側の大噴水広場は、根本中堂のあったところである。
上野の山は、幕末慶応4年(1868年)、彰義隊の戦(上野戦争)の戦場となったことから、根本中堂をはじめ、主要な堂宇はこの時焼失し、壊滅的打撃を受けた。明治維新後、境内地は没収され、輪王寺宮は還俗、明治6年(1873年)には旧境内地が公園用地に指定される。  (wikipedia・寛永寺より)]

[日本鉄道は、上野 – 熊谷間の開業に先立ち、1882年(明治15年)11月に寛永寺の子院跡約29,800坪(約98,512m²)を東京府より借り受け、上野駅の用地とした。1883年(明治16年)7月28日には同線の仮開業に伴い上野駅を開設し、同年8月より貨物、10月より郵便物の取り扱いを始めた。1884年(明治17年)6月28日には仮駅舎で開業式が行われ、1885年(明治18年)に煉瓦造りの237坪(約783m²)の本駅舎が竣工した。この初代駅舎は三村周が設計、毛利重輔が監督を行い、中央の平屋部分に出札広場とコンコース、両翼に待合室を設置したH型平面の構造で、当時の汐留駅横浜駅を踏襲した形となっている。
1930年(昭和5年)3月1日に地鎮祭が行われて改築工事が始まり、1932年(昭和7年)4月2日に2代目の駅舎が落成し、同月5日より営業を開始した。この駅舎では利用者の安全に配慮した動線設計がなされ、乗車客は1階の車寄せから列車ホームに、降車客は地下1階の車寄せに出るようになった。
大正時代撮影の(初代)上野駅舎・wikipedia-photo、落成式当日の(2代)上野駅舎(1932年4月3日)・wikipedia-photo、「JR・正面玄関口(2008年7月)」・wikipedia-photo  (wikipedia・上野駅より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図」(絵図右側中程に寛永寺子院11ヶ寺が描かれています。)

カメラ北西方向が上野駅正面エントランスです。

上野駅広小路口のストリートビューです。

上野駅中央改札口前のストリートビューです。

三相の像前のストリートビューです。

上野駅プラットホームのストリートビューです。

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