岩村田藩内藤家上屋敷跡

マーカーは岩村田藩内藤家上屋敷跡です。

関連リンク – 岩村田藩内藤家下屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP387・コマ番号237/553から岩村田藩屋敷の変遷について記載されています。P388・コマ番号238/553「上屋敷 神田明神下」がこの地になります。

岩村田藩内藤家
[岩村田藩(いわむらだはん)は、信濃国佐久郡小県郡の一部(現在の佐久市)を支配した藩。藩庁は岩村田陣屋に置かれた。藩主家は内藤氏
元禄16年(1703年)8月、武蔵国赤沼藩(武蔵国・上野国常陸国上総国下総国など各地で1万5000石)から転じて内藤正友が佐久郡のうち27か村で1万6000石を与えられ、岩村田陣屋が置かれたことに始まる。その後、1万石分が摂津国河内国(現在の大阪府)内の地へ一時移封されたが、その次男である第2代藩主・内藤正敬の代に再度佐久郡内の地へ移封された。また三男の内藤正直に1000石が分知された。このように所領の場所が頻繁に入れ替わることが多かったが、藩政で特に見るべきところはなく、そのまま代替わりした。
第6代藩主・内藤正縄老中水野忠邦の実弟であった関係で、伏見奉行となってその功績により城主格に昇進された。最後の藩主・内藤正誠は日光祭礼奉行・奏者番寺社奉行などを歴任する。戊辰戦争では新政府軍に与して宇都宮城の戦い北越戦争に出兵した。この頃、岩村田では築城計画がなされていたが、明治2年(1869年)に版籍奉還が行なわれ、さらに廃藩置県が行なわれて藩が廃されたため、城は未完成のまま廃城となった。そして岩村田県は長野県に吸収された。
なお、現存建物として蔵が陣屋跡近くの中嶋公園に移築現存している。  (wikipedia・岩村田藩より)]

東京都立図書館アーカイブ – 東都下谷絵図(嘉永4[1851]/文久2[1862]改正)」(絵図四つ切左上、建部内匠頭上屋敷左上に内藤志摩守(内藤正誠)上屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図四つ切左下・神田神明社右下に内藤豊後守(内藤正縄)と描かれています。)

カメラ位置は妻恋坂交差点で、カメラ西方向新妻恋坂を含む道路両サイドが岩村田藩内藤家上屋敷跡になると思います。