庭瀬藩板倉家上屋敷跡

マーカーは庭瀬藩板倉家上屋敷跡です。

庭瀬藩板倉家
[庭瀬藩(にわせはん)は、備中国賀陽郡庭瀬村(岡山県岡山市北区庭瀬)に藩庁(庭瀬陣屋)を構えた藩である。庭瀬陣屋は旧庭瀬城二の丸を使用して築かれた。
元禄12年(1699年)、上総国高滝藩より板倉重高が2万石で入部し、廃藩置県まで板倉氏が11代172年間在封した。江戸後期文政元年(1818年)、7代勝資藩校誠意館を開いている。
明治4年(1871年)、廃藩置県により庭瀬県となった。後、深津県・小田県を経て岡山県に編入された。
内閣総理大臣となり五・一五事件で凶弾に倒れた犬養毅は、庭瀬藩領地の出身である。  (wikipedia・庭瀬藩より)]

東京都立図書館アーカイブ – 東都下谷絵図(嘉永4[1851]/文久2[1862]改正)」[絵図中央上・不忍池左に板倉摂津守(板倉勝弘)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書. 十四之二(天保十六年・1844年)」[絵図四つ切左下・不忍池右に板倉摂津守(板倉勝貞)が描かれています。]

カメラ位置は学問のみち/都道452号交差点で、カメラ北方向道路両サイドが庭瀬藩板倉家上屋敷跡になります。