両国柳橋 河内屋

マーカーは両国柳橋 河内屋跡です。

[「両国柳橋 河内屋」は、やはり書画会の貸座敷としてよく使われた河内屋の座敷の中を描いている。画面手前の緋毛氈(ひもうせん)の上には筆や絵具皿や筆洗(ひっせん)などが置かれ、女が今描かれたばかりの扇面を手にしている。その奥にも描かれた絵に見入る客や自身の作品を掲げる絵師らしき姿が描かれ、書画会の雰囲気がよく伝わってくる。なお、画面左奥に掛けられた五言絶句に見せた書は、当時有名な白粉(おしろい)の仙女香(せんじょこう)の宣伝文である。「江戸高名会亭尽 両国柳橋 河内屋」には銚子を手にした芸妓らしき女の姿が描かれ、書画会は名家の書画を楽しむという高尚な楽しみだけの場ではなく、江戸時代末期になると、酒肴(しゅこう)が用意され、芸妓が酌をしてまわるという遊楽的な要素がかなり強くなっていた。  (「歴史系総合誌「歴博」第190号 – 国立歴史民俗博物館」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図右上に両国橋・両国広小路が描かれ、広小路上の右側柳原同朋丁に河内屋がありました。)

『江戸買物独案内』画像データベース(早稲田大学)の江戸買物獨案内 上・下巻・飲食之部(飲食之部 / 内容画像3・下画右ページ左)に両国柳橋 河内屋が掲載されている。

絵本江戸土産 – 両国柳橋 料理屋會席(拡大図)

[江戸高名会亭尽の柳橋界隈の四図の中で唯一、柳橋が描かれていない「両国柳橋河内屋」に関しては、描かれた景観からだけだと隅田川に面して建つこと以外には詳しい情報を得られないが、貞秀の「東都両国ばし夏景色」に記された店の順番は梅川よりも右であるので、梅川と向かい合う大のしよりも南に位置していたと考えられる。

  (「錦絵に見る料理茶屋情報:「江戸高名会亭尽」を中心に」より)]

江戸高名会亭尽(歌川広重) – 両国柳橋 河内屋「狂句合 おつな業平河内屋へ度々通ひ ヒトヒ」(wikipedia-photo)

東京都立中央図書館隅田川両岸一覧図絵 上隅田川両岸一覧図絵 下」より。
柳橋周辺

[柳橋左から二棟目の幕が張られた店が河内屋とおもわれます。]
  
カメラ位置は両国広小路で、カメラ東北東方向に河内屋があったと思われます。