一橋徳川家築地下屋敷跡

マーカーは一橋徳川家下屋敷跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP932・コマ番号510/553から一橋徳川家屋敷の変遷について記載されています。P935・コマ番号511/553「下屋敷 向築地」がこの地になります。

[元稲葉丹後守(山城淀藩稲葉正益)屋敷だった所を、延享三(1746)年十月三日、巣鴨下屋敷と引替に受領した。坪数一九、四〇〇坪。「建家立具塁長屋土蔵植木石共渡」とあるから、旧邸をそっくり引渡しを受けたのであろう。寛政四(1792)年には、相対替により、一七、六七七坪余を、松平越中守(定信)に譲渡した。  (「26.切絵図考証一三 安藤菊二(PDFファイル:1050.30 KB)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 七」(コマ番号130/147「延宝年中(1673年-1681年)之形」、コマ番号131/147「宝永年中(1704年-1711年)之形」の絵図中央に稲葉丹後守と描かれています。コマ番号132/147「延享年中(1744年-1748年)之形」絵図中ほどに民部卿殿(徳川宗尹)と描かれています。コマ番号133/147「明和年中(1764年-1772年)之形」絵図中程に民部卿殿(徳川治済)と描かれています、この地の一部が後に松平越中守(松平定信)が拝領します。コマ番号134/147「当時之形[文化五(1808)年]」絵図中程に松平越中守(松平定信)と描かれ、その下に民部卿殿(徳川治済)が描かれています。) 

国立国会図書館デジタルコレクション – 京橋川筋南之方芝口橋川筋限木挽町築地鉄砲洲辺迄一円之絵図 : 天保九(1838)年」(絵図四つ切右下に「民部卿殿」(徳川慶壽)と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図[嘉永二(1849)年]」(絵図中央左方向、西本願寺左下に一橋殿(徳川慶喜)下屋敷が描かれています。)