マーカーはカメラ位置です。
三原橋跡関連リンク – 「三十間堀跡、「信楽茶屋」跡説明板」
三原橋
[現在、東銀座にある晴海通りと昭和通りの交叉点には三原橋交叉点と言う名前がつけられているが、三原橋はかつて三十間堀川に架けられていた橋である。実際の三原橋は交叉点から銀座三越よりの三原橋地下街の位置に存在していた。 (wikipedia・三十間堀川より)]
三原橋地下街
[三原橋地下街は、東京都中央区の東銀座駅と銀座駅間の晴海通りにある地下街。三十間堀川が埋め立てられた際にこの川に架かっていた三原橋を利用して作られた。延べ面積1,429m²。
1952年(昭和27年)12月1日に完成した地下街で、現存する日本の地下街としては上野駅地下鉄ストア(現・エチカフィット上野)に次ぐ古い歴史を持つ。地下街と南北の入り口上のビル(当初の名称は南側が三原橋観光館A館、北側が三原橋観光館B館)の設計者は土浦亀城である。1951年7月に東京都観光協会が東京都に60万円を寄付し、観光案内所の設置など観光目的での使用許可を得た。観光協会は事業委託という形で新東京観光株式会社に運営権を与えたが、同社は条例で禁止されていた都有財産の又貸しを行ない、パチンコ店や飲み屋などの出店が相次いだ。このため1953年には中央区議会などから抗議があったが、撤去はなかなか進まなかった。 日比谷線建設の際(1963年3月から)に一時地下街を閉鎖して大規模な改修工事が行われている。映画館「銀座シネパトス1, 2, 3」、飲食店などが入居しているが、耐震性の問題で取り壊しが決まっており、シネパトスは2013年3月末をもって閉館された。 (wikipedia・三原橋地下街より)]
「国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡江戸〔庄〕図(寛永9(1632)頃)」[絵図中央下に八丁堀舟入の左に三十間堀が描かれ、三十間堀の右が紀伊國橋で三原橋は描かれていません。]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図」[絵図四つ切左上・中央付近の三十間堀に、三原橋は新橋と記述されている。]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 京橋川筋南之方芝口橋川筋限木挽町築地鉄砲洲辺迄一円之絵図 : 天保九年」(絵図中央左方向「三十間堀」に「三原橋」が描かれています。)
「江戸方角安見図鑑. 乾,坤巻」・「ru11_01312_0001_p0014.jpg」[三原橋は無記名であるが描かれている。]
「京橋南芝口橋築地銕炮洲邉絵図 / 玉香園主人 [編]」・ 「bunko10_08631_p0002.jpg」[紀伊国橋と一之橋(木挽橋)の間に、三原橋と記述されている。]
カメラ位置は三原橋跡です。