マーカーは佃天台子育地蔵尊です。
佃天台子育地蔵尊
[江戸時代の中期正徳五年(1715)~元文三年(1738)に在住された上野寛永寺崇徳院宮法親王が地蔵菩薩を厚く信仰され、自ら地蔵尊造立を促された。
その崇徳院宮法親王が淨名院建立の際に描かれた地蔵尊を後に地蔵比丘といわれた第三十八世の妙連大和尚が八萬四千体石地蔵尊建立を発願され、地蔵尊を拝写して全国の信者に賜ったとのこと。
この天台地子育地蔵尊には「天台地蔵比丘妙連」の刻名があり、この地蔵尊もその八萬四千体のひとつではないかということのようです。 (「佃天台地蔵尊…都会の寺社をめぐる…月島ぶらり③|MCNP-media …」より)]
「43 佃天台子育地蔵尊。なぜこんなところにこんな不可思議な空間が生まれ」
カメラ北西方向小路が佃天台子育地蔵尊参道です。
カメラ東南東方向小路が佃天台子育地蔵尊参道です。
佃天台子育地蔵尊前のカメラです。