土佐藩築地邸跡

マーカーは土佐藩築地邸跡の説明板です。

関連リンク – 「土佐藩山内家上屋敷跡(東京国際フォーラム)」、「土佐藩下屋敷跡案内板」、「山内豊信(容堂)墓所

土佐藩築地邸跡
[この地は、江戸時代前期に埋立てられ、武家地や町人地となりました。文政九年(1826)、この一帯の土地がまとめられ、土佐藩山内家が拝領しました。山内家は中屋敷ないし下屋敷にしていたようで、幕末までこの地にありました。
 土佐藩は初代山内一豊から十六代山内豊範まで続きました。幕末の変革期に有名な山内豊信(容堂)は十五代で、ここに屋敷を構えていたときに藩主でした。
 豊信は、安政五年(1858)の条約勅許や将軍の継嗣問題において、一橋慶喜(後の十五代将軍)を擁立する一橋派に協力しましたが、徳川家茂(後の十四代将軍)を推す大老井伊直弼に敗北し、豊信は藩主を退きました。この後、井伊直弼が暗殺されるなど、政情は混乱していきます。そのような中で、豊信率いる土佐藩は、幕府に大政奉還を働きかけてこれを実現し、後の版籍奉還廃藩置県に至るまで、薩摩藩長州藩と並んで明治維新の先頭に立っていました。
 なお、幕末に土佐勤王党を結成して幕府打倒を掲げた武市半平太は、ここから程近い士学館道場(現銀座一丁目、京橋公園辺り)に通っていました。また、薩長同盟を成立させ、大政奉還を提言した坂本龍馬は、安政三年(1856)から同五年ころ、剣術修行のため江戸に来ていました。龍馬はこの地の土佐藩築地邸に寄宿しながら、桶町(現八重洲二丁目・京橋二丁目の一部)にあったとされる千葉定吉道場に通っていたようです。
     平成22年3月   中央区教育委員会]

土佐藩築地邸資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図」(絵図中央左に松平土佐守下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 京橋川筋南之方芝口橋川筋限木挽町築地鉄砲洲辺迄一円之絵図 : 天保九年」(絵図中央上に「松平土佐守」と描かれています。)

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書」 – 「七[147] – 78/147、79/147」(絵図右上に松平土佐守が描かれています。)

土佐藩中屋敷跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向、植え込みの前に土佐藩築地邸跡の説明板が設置されています。

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